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【#一日一題 木曜更新】 大人のこたえあわせ

山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字以内で書き、週に1度木曜日に更新します。ほらいつか岡山在住ライターとして一日一題から依頼が来るかもしれないし……し…? 

子どもたちの素朴な疑問。「なんで勉強しなければならないの」に、どう答えるのが正解なんでしょうか。

この2年間、ある勉強をしています。はじめは単なる好奇心でしたが存外に面白く、この年齢になってからの勉強は忙しいけど悪くないものだなと感じています。

過去の自分の行動も、あのにっくき人の言葉も、学問に落とし込んでみると古代の人間の言動となんら変わりはありません。時代が変わってもあちこちで同じアプローチを繰り返してしまうのは人の性としてしょうがないのかもしれない、授業を聞きながらそんなみょうな理解に落ち着き、そして知識というものは、経験が肉付けされて本物になるものだと、そんな実感も湧いています。

つまり、答え合わせ。教科書を眺めながら20年かけて壮大な答え合わせをしているような、そんな不思議な感覚です。

先日、ノンバイナリーの人が改名の手続きのために訪れた銀行で行員から心無い扱いを受けたという記事を読み、胸が苦しくなりました。

感情や行動の描写が厳しく、内容に関して賛否両論。でも私の苦しさの理由は内容に関してではなく、自分の子ほど年の離れた博識で若い著者さんに対し「私がこの子の親だったら」と、いらぬ想像を抱いてしまったからです。親としてそばで見守れるのならば、社会への理解の求め方や、傷つかずに済む交渉の手立てを、暮らしの中で教えられたかもしれないと、そんなことを考えてしまいました。

「なんで勉強しなければならないの」のひとつの着地点は、「自分の怒りや悲しみ、生きにくさを社会にケンカせずに伝えるため」なのかもしれません。もちろん、そこには学習のほかに大人からの働きかけと何らかの経験値を持つのも不可欠で、それがないとおそらく何事にも空回りをしてしまいます。

子どもたちへの大人の責任は想像していたよりもっと壮絶で重大でした。自分の子が大人直前の年齢になった今、まだまだ大人としての職務は終わりにはできないと、そう感じています。



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