見出し画像

怪異を斬る魔女 #2

#1へ戻る

「セイッ! ヤァーッ!」
「セイッ! ヤァーッ!」
「セイッ! ヤァーッ!」

 あっしは約束の通り、道場へ案内してもらいやす。
 広さは80畳ほどでありやしょうか。板張りの床の上で、何人もの門下生が木刀を振り、稽古に励んでおりまする。広く、立派な道場でありやす。
 開け放たれた扉からは、抜けるように広い晴天が覗き、蝉の鳴く声と夏の熱気が絶えず入り込んで来ておりやす。
 稽古励む門下生の顔ぶれは、お侍様もいれば町人の若者と思われるものまで多種多様でありやす。規則正しく並び、蝉の声にも負けないほどに気合いに満ちた掛け声を上げ、夏の熱気よりも熱心に一心不乱に木刀を振り続けておりやす。

 ここは、無双直伝英信流むそうじきでんえいしんりゅう。剣術道場でありやす。

「どうだい、立派なもんだろう!」

 "めくら"のあっしのために手を引いてくれるのは、武田の御仁。どうやらここの道場の門下生であるようで、道場の中の様子にもお詳しい様子。

「俺ぁここの中でも、1番目か2番目を争う腕前なんだよ」
「へぇ、そいつぁ結構なことで。ときに武田様、腰に下げた刀、随分と立派な逸品なようで」

 あっしは、武田様が佩いておられる刀を指差しながら尋ねやす。

「こいつかい? へへへ、座頭さん! お目が高いねぇ!」

 武田さまは、鼻をこすりながら自慢げに続けやす。

「俺ぁ信州の武士の次男坊でな、お家は継げないから剣術で身を立てるようにってんで、親父が餞別でくれたんだ。いいかい座頭さん、聞いて驚け───」

 武田の御仁は、たっぷりと勿体ぶったあと、自慢げに刀を持ちながら言いやす。

「天下五剣がひとつ、三日月刀宗近たぁ、こいつのことよ! へへっ、どうだい? 恐れ入ったかい?」
「へぇ……そいつぁ、有名な刀なんで?」
「……座頭さん、いったいどこの田舎もんだい。あんたお江戸から来たんだろう? 天下五剣も知らないなんて、ずいぶんじゃあないか」

 武田の御仁は、あっしの反応に随分と鼻白んだ様子。そんな有名な名刀を次男坊に餞別として持たせるなんてぇことは無いのでは? という言葉は、ぐっと飲み込むことにしやす。



「さぁて、座頭さん。こちらが依田さん。この道場の師範だ」

 武田の御仁は、そんな会話をしながらあっしの手を引き、稽古を続ける門下生の方々の脇を抜け道場の最奥まで案内してくれやした。その道場の一番奥、座布団に胡坐をかいて座り、門下生の稽古を鋭く睨むように見守るお方を紹介してくれやす。

「ああ、どうも。依田だ。武田くんから話は聞いているよ。なんでも、人探しをしているとか」

 自らの顎を鷲掴みにしながら鷹揚に頷くのは、真っ白な胴着の老年の男性。深いしわが刻まれた顔に、年齢にそぐわぬ太い腕。
 この道場の師範である、依田右衛門道玄様でありやす。

「へぇ。どうやら探してるのは、この道場に関係のあるお人なようで。しばらくの間こちらにご厄介になりやしょうと思いやして。お願いいたしやす」

 あっしは依田様の前に三つ指をついて頭を下げまする。
 ここは、中山道の宿場町にある、無双直伝英信流の剣術道場でありやす。

 この日の本から大きな戦がなくなって、もう長くなりやした。
 長巻や槍、弓といった武芸の価値はめっきりと下がり、かわりに市街地での乱闘や野党への対策に有用である、携帯できる武器───刀が扱えることへの需要が高まっているのでありまする。
 帯刀を許されていない町人であっても、護身用として二尺に満たない長脇差であれば携帯することに問題はなく、近頃となりましては二尺を明らかに超えるようなものであっても、お上からは黙認されている現状でありやす。
 そうした町人や農民といった、お侍様以外へ刀を使うための教えをする剣術道場が各所で興隆しておりやす。
 中でもこの無双直伝英信流は、林崎甚助という居合道の開祖からの流れを汲む由緒正しい剣術で、町人やお侍様にも人気の高い道場でありやす。

「わっはっはっは! 座頭さんは変わった喋り方をするねぇ。郭言葉ってやつかい?」

 そんな人気道場の師範、依田様は細い目をさらに細めて豪快に笑いまする。どうやら厳しい外見とは裏腹に、快活なお方であるようでございやす。

「へぇ。お恥ずかしいこって。故郷訛りがひどいもんで、それを隠すためにこんな喋りをしておりやす」
「なるほど、なるほど。おい、おこい!」

 依田様は、手を打ち鳴らし誰かを呼び出しやす。

「お父様、呼びましたか」

 道場の一番奥の扉から暖簾を潜って出てきやしたのは、年若い女性のお人。年の頃は20かそこらでありやしょうか。
 依田様をお父様と呼んだということは、この道場のご令嬢なのでありやしょう。

「これは、おこい。私の娘だ。私は嫡男に恵まれなくてね、この由緒ある道場の跡継ぎは、これの婿様にすることにした」

 依田様は、おこい様の肩を叩きながら紹介してくれやす。

「何か必要なものがあれば、このおこいに頼むように」
「へへぇ。御心遣い、大変申し訳なく」

 あっしはまた三つ指をつき、深々と頭を下げまする。

「それで、座頭さん。ウチに一晩泊めるのは構わないんだが────座頭には座頭の、仁義のきり方ってもんがあるんだろう?」

 依田様は、あっしの背負った包みへ興味深そうに視線を伸ばしやす。
 座頭といば、芸事や指圧、按摩を提供して路銀を稼ぐものでありやす。

「では、失礼おば」

 あっしは、背負っていた包みを下し、くるまっている布を開きやす。
 中から出てきたのは、楽器。

「ほほぅ、琵琶かい。こいつは良いや」

 武田の御仁は、音楽を好むようで上機嫌で言いやす。
 依田様は、門下生たちの練習を中断させ、あっしの演奏を聴くように提案しやす。門下生の方たちも興味深そうにあっしの周りへ集まってまいりやす。
 あっしは、周りが静かになるのを待ってから弦を指で弾き、音を奏で始めやす。
 ポロン、という澄んだ高音。

「おぉ……」

 どうやら気に入って頂けたようで、聴衆の中から感嘆の声が上がりやす。

 最初はゆっくり、流れるように単音。次第に早く、豊かで潤いを感じるように。
 故郷の空、緑、河。
 激しさはなく、穏やかな調べで。
 繊細に。優しく。聞く人の耳を撫でるような音で。
 聴衆の皆様は、うっとりと聞き惚れているようで、あっしも心地よく演奏を続けやす。

「────お粗末様で」

 演奏を終えたあっしは、三つ指をつき頭を下げまする。
 途端に、皆さまから拍手の雨。

「いやぁ、素晴らしかった。聞いたこともない音だ。それは琵琶のように見えるが、違うのかい?」
「へぇ。こいつぁ"リュート"と申しやす。あっしの故郷に伝わる楽器でありやす」

 あっしは、リュートを布に包み仕舞いながら説明しやす。

「りゅうと……? 座頭さん、故郷はどちらで?」
「へぇ。あっしはエール……アイルランドってぇ国の生まれでして」
「あいるらんど……? うーむ、聞いたこともない国だ。座頭さんは不思議なお人だなぁ」

 依田様は感心したように何度も頷いておりやす。

「いやぁそれにしても座頭さん、素晴らしい演奏だったよ。おこいの来週の祝言にも、是非とも演奏をお願いしたいところだ。座頭さん、1日と言わず、何日だって道場にいてくれて構わないのだよ」

 依田様は、そう仰いやす。
 こうして、あっしはしばらくこの道場の裏、依田様の邸宅にてご厄介になることとなったのでございまする。


◆◆◆


「セイッ!」
「それまで!」

 日付も変わり2日目。久々に上等な布団で寝ることができたあっしは、上機嫌で道場の朝練を見学させて頂きておりまする。
 夏の朝の空気は爽やかとは言いがたいものですが、それでも早起きはいいものでありやす。

 ちょうど武田様が稽古を受けている最中のようで、お互いに座った状態からの立ち合いをしておりまする。
 武田様が木刀を中腰に構えた頃には、目の前の相手の方の木刀が脳天の直前にまで迫っており、お相手の方が寸止めをしてなければ、あわや大怪我、といったところでおりまする。

「武田のやつ、ちっとも上手くならんな」

 あっしの隣で見学していた門下生の方が、そうため息混じりに仰いやす。

「へぇ。なにやら、武田様はこの道場で1番か2番を争う腕前とお聞きしやしたが」

 あっしは、その門下生の方に問いかけやす。

「ははっ、武田自身がそう言ったのかい? 駄目だよ座頭さん。あいつの言うことを鵜呑みにしたら、いけねぇ」

 門下生の方は、大笑いしながら続けまする。

「名前に『信』なんてぇ文字が入ってるが、とんでもねぇ。あいつの言うことを信じるものは馬鹿を見る、言うことの1000のうち本当のことは3つ、千三つ武田なんつって、この辺じゃ有名なのよ」

 そう話していると、別の門下生の人も話に加わって参りまする。

「そうよ。俺ぁこの前、アイツに誘われて飲みに行ったんだ。『ここは俺の顔なじみの店だから』なんつって言われたんで、信用しちまったのが運の尽きよ。それが大嘘もいいところでよぉ。とんでもなく高級な店で、お互い値段に目ん玉ひん剥いて、酒の一杯だけ飲んで逃げてきたのよ。いやぁアレは恥をかいたぜ」
「お江戸を騒がせた大盗賊、『山茶花党』の親分を自分が捕まえたなんてぇホラも吹いてやがったな」

 そうやって噂話をしていると、武田様がこちらへやって参りまする。

「なんでぇ、なんの話だい?」

 あっしに武田様のホラ吹き話を教えてくれていた門下生の方々は顔を逸らし、バツが悪そうに素知らぬ顔をしやす。

「それにしても、座頭さんには格好悪いところを見られたねぇ。いや、今日は腹の調子が悪くてね」

 武田様はそう言い訳をしながら、頬を掻きあっしの隣へ座りやす。

「ところで、座頭さんの探してる人ってのは、どんな人なんだい?」
「へぇ……加賀国には、嘘をつきすぎると、肩から松が生えるという言い伝えがありやす」

 あっしは声を潜め、武田様にだけ聞こえるように話しやす。

「あっしは、肩から松の生えた"あやかし"になっちまったお侍様を、斬るために探しているのでございやす」

 あっしの言葉に、武田様は眉根を寄せまする。

「あやかし……なんでぇ座頭さん。ずいぶんとおかしなことを言うもんだ。"あやかし"なんて、いるはずがないだろう」

 武田様は、そう引き攣ったお顔で仰いまする。


◆◆◆


 息を吸うのも億劫なほどに暑い、熱帯夜。
 ここにご厄介になって、もう4日が経ちやした。その間も"あやかし"の気配はありやしませぬ。
 しかし、あっしには確信がありやした。必ず、この道場の関係者の中にあやかしがいると。ほんの僅かながら漂う妖薫を嗅ぎ逃すあっしではありゃしません。

 あっしは、嫌な予感を感じて、寝床からのそりと起き上がりまする。

「これは、いけませぬ」

 嫌な気配は屋敷ではなく、道場から。
 あっしは杖を手に取ると、真っ暗になった庭を走り、道場へとやって来やす。
 戸の前には、真っ青な顔をしたおこい様が床に手をついて崩れ落ちておりやす。
 あっしは、からりと両手で勢い良く戸を開きまする。

 部屋の中央には、門下生たちの首だけが、床に立てられておりやす。

「ざ、座頭さん……」

 首のさらに奥。ガタガタと震えて声を絞り出したのは武田信行の御仁。
 その全身は血に塗れ、傍には門下生たちの胴から下が転がっているではありませぬか。

「武田様───」

「逃げるんだ、座頭さん」

 ばさり。
 武田の御仁から、血飛沫が舞いやす。

「馬鹿な男だ」

 ずるずると崩れ落ちる武田様の身体の後ろ。抜刀の残身の姿勢。
 武田様を斬り伏せたのは、依田様でありやす。

「起きてこなければ、死ぬことはなかったものを」

 その全身は返り血に塗れておりやす。
 道場に倒れているのは、武田様と依田様だけではございませぬ。道場の門下生でも、特に腕の立ちそうな方々が、皆斬られ、亡骸を晒しておりまする。

「お前もそうだ。馬鹿な"めくら"が」

 依田様は、手にした刀をひゅんと振ると刀についた血糊を振り払いやす。

「やはりそうでありやしたか。依田様。御手前がお侍様というのは……真っ赤な嘘でありやすね?」

 あっしの言葉に、依田様は自嘲するような笑みを浮かべ、答えやす。

「ああ、そうだ。俺は身寄りのない孤児で、武家の血など引いてないし、禄も貰ったことはない」

 依田様は、くつくつと笑い、門下生の首を蹴り飛ばしまする。

「こいつが、俺が何の禄も持たない偽物だと気づいちまったようでな。何十年も誰にもバレなかったのに」

 何人もの手練れを相手に、依田様も無傷とはいかなかったようで、着物はあちこち傷だらけとなり、上半身を晒しておりやす。
 その右肩。そこに、緑色の芽が生えているのが見えまする。
 あれこそが、おやしりまつ。

「これか。この奇妙な芽は、俺がこの道場に出入りするようになってから生えてきた。何度抜いても、また生えてくる」

 依田様は、肩の芽を忌々しげに押さえつけまする。

「依田様。それは、貴方様が人間から魔境へ堕ちかけている証拠でございまする。どうかここで大人しく、あっしにお縄となってくださりませぬか」

「座頭、お前の噂も聞き及んでいるぞ。なんでも"あやかし"を退治する異国の老婆がいるらしいと。お前こそがそのザトウイチなのであろう?」

 依田様は腰を落とし、鞘に刀を仕舞うとあっしに向かい半身となり、抜刀の体勢となりまする。

「果たして、俺が斬れるか? 怪異斬りの魔女とやらが。化け物を斬るのは得意なのだろうが、剣の腕で俺に勝てると思うか?」

 あっしの説得は無駄に終わったようで、依田様はあっしを斬るつもりのご様子。あっしは仕方なく、杖を両手で持ち、前に抱くように掲げまする。

 ───無双直伝英信流の教える居合道とはつまり、市街地や生活の中で突然刀を振るわなければいけないとき、どうやって対処すべきかという心得を伝授する武芸。
 どんな達人であっても、寝ている先に刺されれば無力。誰もが思うことでありやしょう。居合道とはつまるところ、どれほど日常の生活の中での隙をなくせるか、ということでありやす。
 不意に攻撃を仕掛けてきた相手にどう対処するか……居合道とは返り討ち、"後の先"を極める剣術なのでありやす。

 あっしと依田様はお互い、柄に手を添えたまま、いつでも抜刀できる体勢を維持し近づいていきやす。近づくにつれ、空気が圧縮されるような感覚。一つの油断が死につながる、空間の削り合い。
 仕舞いには、お互いの鋒が届く距離にまで到達。そうすると、あっしと依田様は、じりじりと円を描くように点対象で動きやす。
 お互い、相手が不用意に抜いたあとの"後の先"狙い。もしくは、どちらかの気力がぶれた瞬間、一瞬の隙を突くこと。
 あっしらは全神経を集中させ、相手の動きをひとつたりとも見逃さぬよう気を張りつめ、精神をすり減らしながら待ち続けやす。

 例えその鋒が反応できないほどの速さであっても、その予備動作を完全に無くすことは難しいものでありやす。増してや、こうお互いに集中して相対していれば猶更、相手からはその太刀筋が読めるというもの。もし、不用意に先に仕掛ければ、その一撃を躱すことは容易でありやす。そうして渾身の一撃を放った隙だらけのところへ必殺の一撃を放たれては、御仕舞いでありやす。
 であるので、あっしも依田様も、お互いに手の届く範囲に入りながら、お互いの隙を伺う膠着状態となりやす。

 しかし、如何な達人であっても、人間であるなら、隙を全く作らないというのは不可能な話でありやしょう。依田様は、まばたきや心臓の鼓動の巡り合わせにより、ほんの僅かに集中に綻びを生じさせまする。
 その瞬間、あっしは杖の絡繰仕掛けを跳ね上げ、仕込み刀を抜き放ちやす。
 ギャリィィィイイイイン!
 柄に仕込まれた絡繰りが作動し、あっしの仕込み刀を摩擦により超高温に加熱しやす。
 その勢いのまま、依田様の首を刎ねるつもりで袈裟に斬り上げまする。

 依田様は、それをなんとか刀で受けようとしやす。鬼神のごとき表情で歯を食いしばり、抜刀。あっしの太刀筋の軌道に刀を滑り込ませやす。
 驚異的な反応速度。しかし、受けようとした刀は、あっしの赤く燃える刀によって触れた瞬間に溶け、折れてしまいまする。
 相手が人間のお侍様ならそこでこの話は終わりであったでありやしょう。
 しかし、そうは問屋が下ろしませぬ。

 あっしの剣筋を、肩の松が横腹をつつき、弾いたのでありやす。

「ひ、ひぃぃ!」

 おこい様は青ざめて悲鳴を上げまする。
 当然でありやしょう、この世の物とは思えぬ光景でありやす。
 先ほどまでは枝程度であった"おやしりまつ"が、めきめきと音を立てながら、猛烈な勢いで成長。あっという間に、人間の足よりも太く立派な幹となっているではありやせぬか。四方八方に枝を伸ばし、そこからはトゲのような硬い葉が無数に飛び出ておりやす。
 その松は、まるで人間の腕かのようにみしみしと不気味に蠢きまする。
 そのおぞましき光景に、あやかしを知らぬ人が目を剥くのも仕方ありませぬ。

 肩から生えた松は、三本目の刀───武田様の三日月刀宗近を拾い上げ、構えたではありませぬか。
 依田様は折れた刀を投げ捨て、腰に差した長脇差を抜き放ちまする。
 おやしりまつは、上段。依田様は、鞘に手をかけた中段。

「なんてぇ恐ろしい絡繰り刀だ。受けた鉄の刀が焼け落ちるなんて。それがあやかし退治の秘密か。この松がなければ、首が落ちているところであった」

 依田様は、ぎらぎらとした目であっしを睨みつけやす。

「しかし、もうタネは割れた。受けなければゃいいだけの話だ。俺のこの、二連撃をどうにかできる人間は、この世にいないだろう」

 二連撃。構えたおやしりまつが、刀を振れるというのか。……当然、振れるのでありやしょう。
 おやしりまつによる先制。それを躱し、体勢を崩したところへ打ち込まれる居合。一対一であれば、どうあがいても対処することができない無敵の魔技。

「俺の抜刀は、江戸どころか日本中でも通用する一流のものだ。座頭、お前の抜刀は俺より遅い。お前に勝ち目はない」

 お互いの筋力が人間である以上、そこまで速度に差が出るはずはありやしませぬ。!おやしりまつ"が放つ一撃目を躱すか受ければ、当然体勢は崩れまする。崩れた姿勢では、万全の姿勢から放たれる依田様の2撃目である抜刀に割り込むことはできない。それが道理でありやす。

 じりじりと間合いを狭める依田様。あっしは、冷え切った刀身を鞘の中に仕舞い、絡繰りをまた使えるよう仕掛けなおしやす。

「無駄なことだ、大人しく首を差し出すが良い」

 依田様が必殺の間合いに入った、その瞬間。"おやしりまつ"は三日月刀宗近を横一線になぎ払うよう振りやす。予想をはるかに超えた、恐るべき一撃!
 あっしは、それを身を退くことで紙一重で躱しやす。
 その隙を逃す依田様ではありゃあしませぬ。鋭い踏み込み。あっしが下がった間合いを、一瞬で零にしやす。抜刀。瞬きよりも早い抜き打ち。
 人智を超えた、恐ろしき二連斬。依田様の顔は、勝利を確信し喜悦に歪ませまする。

 ごう!


 熱した金属が空気を切り裂く音。
 あっしの仕込み刀は───依田様の脇腹から入り、まるで豆腐を箸で切るかのように、なんの抵抗もなく肩へと抜け出て行きやす。

「これにて───おさらばえで、ありやす」

 依田様の身体は、あっしを斬ろうとした格好のまま、胸のところから割れ、左手と頭だけずるりと落ちていきやす。
 依田様は、それを信じられないといった表情で見やす。

「い、一撃目と二撃目の間隙で斬られたのか? そんな馬鹿な……そんな馬鹿な! お前……本当に人間か?!」


◆◆◆


 上半身だけとなり無様に床に転がっても、まだ俺の魂は、この身体にしがみついている。
 これがあやかしに堕ちた代償だとでもいうのだろうか。死の苦しみと恐怖がこれほど長く続くとは、なんとひどい仕打ちだろうか。

 なんという、無様。

 思い返せば、俺のこれまでに良いことなんて一つもなかった。
 生まれたばかりで江戸の片隅に捨てられ、盗賊の一味に拾われると、使い走りとして散々利用された。盗み、すり、押し入り強盗、火付け。汚いことはなんでもやった。

 そんなあるとき、俺はあまりにもひどい扱いを腹に据えかね、反撃することにした。野盗どもは数十人、みんな大きな図体をしていやがったんで、どう考えても勝ち目はなかった。俺ぁ自棄っぱちで、死ぬつもりだったんだ。
 しかしどうだろう。大人の野盗どもを、俺は一人でみんな片付けちまった。当時10かそこらの餓鬼がだ。
 その日から、俺の扱いは一変した。野盗どもは俺の強さを利用するようになった。俺を下にも置かねぇように扱い、ちやほやし、そのうちに俺が野盗どもの頭になっていた。
 江戸の岡っ引きも、剣術自慢のお侍も、誰も俺には勝てなかった。どうやら俺は剣の天才ってぇやつだった。逆らうやつは、みんな殺した。

 しかし、それも長くは続かなかった。俺は、部下にしたと思ってたやつらに裏切られ、罠にはめられ、殺されかけた。
 襤褸雑巾のようになって江戸を離れ、たどり着いたこの中山道の宿場町。そこで、人生を変える出会いをした。
 俺は、峠でたまたま通りすがった侍を殺し、身ぐるみを剥ぎ、そいつになりきることにした。
 そいつは、まだ目も開かないような赤ん坊を連れていた。赤子を殺すことなんて容易いが、下手に殺しても矛盾が生まれたらいけねぇと、俺は気まぐれで生かすことにした。

 それが、失敗だった。

 俺は、戯れに赤ん坊を育て始めた。そうこうしてるうちに、俺ぁすっかり情に絆された。俺は、おこいと名付けたこの子のことが、大切でたまらなくなっちまった。
 俺が親を殺した子供。なんて莫迦なことだろうか。

 そうして俺は、しばらく成り代わるだけのはずだったお侍のフリを、ずっと続けた。
 真面目に剣術を教え、いつしか道場を持ち、おこいも立派に育った。
 俺はすっかり忘れていた。自分が薄汚れた、嘘に塗れた男であることを。
 だが、過去は追いかけてきやがる。せっかくおこいに祝言が決まったというのに、俺の身分も名前も経歴も、みんな嘘だと気づいた奴が現れた。
 俺にやれることは、たった一つだった。


◆◆◆


「ちくしょう……あやかし退治に特化した剣かと思っていたが……とんでもねぇ、なんてぇ剣の冴えだ」

 上半身と下半身に分断されてなお、依田様は生きておられるようでありやす。
 あっしは、依田様のもとへゆっくりと歩み寄ると、膝をついて視線を下げまする。

「……依田様は、おこい様へ懸想なさっているのでは、ありゃしませぬか」

 あっしがそう尋ねると、依田様は絶句し、ぱくぱくと酸欠のように口を開閉させまする。

「馬鹿な座頭が……剣の腕は立つが理屈はからっきしなようだ……俺がなんでこんな、田舎侍の娘に惚れるっていうんだ……」

 依田様は、潤んだ目でおこい様を見上げまする。

「こんなくだらない野盗のことは忘れて、いい男と一緒になって幸せになって……」

 言い終わる間もなく、依田様───あやかしに成り果てたおやしろまつは、崩れるように、遺体も残さず消え去ったのでありやす。

 なんとも────嘘つきな御仁でありやしょう。

 それを、おこい様はどのような想いで見つめておりましたか。あっしには想像もつきやしません。

 あっしは、門下生たちを丁重に弔うと、最後に武田の御仁の亡骸にまで近づきまする。

「痛ぇよ! 座頭さん、俺ぁ死んじまう!」

 武田様は目を見開くと、岡に上がった魚のように跳ね回りやす。
 見れば、薄皮一枚ほどの切り傷はありやすが、どうにも命に別状があるようには見えませぬ。

「なんてぇ運の良い御仁だ」

 あっしは武田様の襟を引きながら、いまだ動けないおこい様を尻目に夜の闇の中へ紛れるように消えることといたしやした。


◆◆◆


 さて、この武田信行。この出来事がきっかけとなったのか、この後も幾度となく怪異と出会うことと相成ります。
 その体験を仲間に話したのが『諸国百物語』として纏められ、その後の有名な百物語の原型となったのは───また別の話。


【怪異之二 おやしりまつ 終】
【怪異之三 胃ぶらりんへ 続く】










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?