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怪異を斬る魔女 #1

怪之一、おおかむろ

 お江戸の街からほんの数日ばかり歩いた程度でも、街道から外ればもう住む人もまばらな野っ原が広がっているものでございやす。最近のお江戸は油の普及で夜中でも明かりが点々とついているものでありやすが、こういった農村はそうはいきはしませぬ。日も暮れますと、月明かりの他には何も見えない真っ暗闇となりまする。
 夜もいよいよ更け、草木も眠る丑三つ時。今宵はお月様も雲の裏に隠れ、一つの灯りもありゃしませぬ。けれどあっしは生来の"めくら"で御座いますので、真っ暗だろうがあまり関係ありやしません。
 こういった真っ暗な夜に、"あやかし"は顕れるものであります。
 あっしは七竈の杖をつきながら、あぜ道をえっちらおっちら進んで行きやす。目的地は、この村の外れにある寂れた古びた家屋。
 闇の中に沈む目当ての家にまで辿り着きやしたので、入り口の障子戸にぴたりと張り付き、中の様子を探りやす。するってぇと、障子越しに感じる気配は四つ。三つは人間ですが、残り一つはどうにも妙な気配。おそらくは"あやかし"でありやしょう。

「あいや、御免なすって」

 あっしは障子戸を勢いよく、左右にすぱんと開け放ちやす。それから身を低くして、転がるように中へ入りまする。
 しかし、"あやかし"はおりませぬ。中には、頭の上半分が齧りとられたこの家の住人と思しき死体が三つ。下の顎だけが残り、白い歯が丸見えとなり、噴水のように血を吐き出しております。これは、少しばかり遅かったようでありやす。
 あっしは、部屋の真ん中まで歩み出ると、ぐるりと頭をめぐらせて周囲の気配を探りやす。

「なんだ、なんだ。おぬし、座頭か?」

 あっしが入ってきた反対側の障子戸、部屋の一番奥から、野太い男の声がかかりまする。

「へぇ、しがない"めくら"の女座頭でありやす」

 あっしは、七竈の杖を抱き抱えるように持ち、中腰となりやす。

「そうか、まぬけなめくらか」

 野太い声の主は、突然の乱入者はめくらの女と知り、警戒したのも莫迦らしかったと嘲り、大笑いしはじめまする。その声音は人間にはあり得ないほど大きく、もはや地響きのようでありやす。
 ばん、と障子戸が開きやす。そこには、赤ら顔をした、大きさは普通の三倍か四倍はあるかという巨大な顔が、でんと鎮座しているではありませぬか。
 目玉はぎょろぎょろとこぼれ落ちるほどに飛び出て、燃えるように真っ赤。髪は禿げ上がり、口を大きく四角形に開けておりやす。口の中には、石臼のような巨大な、黄ばんだ歯がいくつも不揃いに並び、先ほど噛み潰した人間の血や髪の毛がこびりついておりまする。わ、は、は、は、と薄気味の悪い背筋も凍る大笑い。知らずに出会えば、この笑い声だけで腰を抜かしてしまうことでありやしょう。

「おまえも食らうてやるぞ、まぬけなめくらめ」

 赤ら顔は獰猛にそう言うと、人間を丸呑みできるほどに大きく口を開きまする。

「そちら様は、近ごろこの近辺の村で次々と人を襲い食うと噂のあやかし、"おおかむろ"様とお見受けしやす」

 あっしを食い殺そうと大口を開けて迫るあやかしへ向けて、あっしは頭を下げて冷静に告げまする。

「其方様に恨みはありませぬが、いざ尋常に」

 がちん! おおかむろはあっしの口上なんぞ無視して、先ほどまであっしがいた場所へ噛みつきまする。あっしは杖を構えたまま、ごろりと斜めに転がりその顎門を間一髪で躱しやす。その勢いのままごろりともう一回転、おおかむろの背後に回り込みまする。
 おおかむろはぐるりと振り返ると、一層口を大きく開き、とてつもなく大きな声を放ちやす。それはまるで、老若男女や犬や牛や馬なんかの声をみんか混ぜたような、身の毛もよだつ凄まじい声でありやす。顔が大きい分、声も大きくできるのでしょうが、これはたまりませぬ。あっしはその声の一撃で、少しばかり蹈鞴を踏みまする。
 その一瞬を見逃すおおかむろではございやしませぬ。あっしの頭を齧りとろうと、狙いを定め迫りまする。
 あっしは、頭を上げると同時に着ている亜麻の外套を跳ね上げやす。杖の留め具を勢いよく弾きやすと、絡繰じかけが外れまする。
 この杖の中には、刀が仕舞われており、いわゆる仕込み刀というものでありやす。

 ギャリィイイイイ!!!

 杖の内側には特殊な仕掛けが施してあり、勢いよく抜刀すると、刀身は摩擦によって赤熱しやす。
 "あやかし"は、鋼以上の硬い外皮を持っておりやす。その皮の前では鍛え上げた名刀だろうと、全くの無意味。しかし、この方法で作った燃える刀であるなら、話は別でありやす。
 足を前後に大きく開けて、腰を深く落としやす。涎を撒き散らしながら迫る巨大な顔に対して、ちょうど垂直になるよう身体を開き、杖からた抜いた勢いのまま、袈裟に刀身を振り上げやす。
 この一連の動き、素人さんならまるで突然刀が生えてきたかのように映ることでありやしょう。
 まるで豆腐を箸で切り分けるがごとく、なんの抵抗もなく刀があやかしの身体、その左下から右上までを通過いたします。
 じゅっ、と毛や肉が焼ける、いやなにおい。

「あがっ……?! おれ、おれのからだが?!」

 おおかむろは、自分の顔が斜めに分断されてから、ようやく今になって何が起きたか分かった様子。あっしに迫ろうとした勢いのまま、二つに左右に分かれていきまする。
 焼けた断面からは血は出ず、真っ黒い煙だけを軌跡に残していきやす。

「おめェ、おめェがまさか、あの! 本当にいたのか?! 怪異斬りの魔女!!」

 あっしを中心に左右に真っ二つになりながら、おおかむろは断末魔の叫びを上げまする。

「怪異斬りの魔女───ザトウイチ!!!!」


怪異を斬る魔女

ザ・スカーレッ トウィッチ



「これにて───おさらばえでありんす」

 ぴしり。あっしの真後ろでおおかむろの右半分と左半分が地面に落ちる音を聞きながら、仕込み刀を杖に仕舞いまする。
 振り返ると、先ほどまで大きな人の頭だったそれは、いつのまにやら一匹の狸になっていやした。この狸こそが、おおかむろの本当の姿なので御座います。
 古狸は、腹のところで真っ二つに切り裂かれ、もう二度と動くことはありゃしません。
 あっしは、一息つくと、今だに血を噴き上げる住人の前に跪きまする。

「あっしが遅いばかりに。どうかご容赦を」

 あっしは、ジャイアの印を地面に刻み、動物を象った籠を並べ、家に火をくべまする。
 魂は不滅。また輪廻の先で出会えることを願って。
 そうして儀式を終えると、燃え盛る家屋を背に、真っ暗な闇の中へと溶け込み、その場を後にしたのでありやした。


◆◆◆


 月のない夜でも人家に明りが灯り、民草から"あやかし"への恐怖が薄らいだ江戸の街。しかし、だからこそ、退けられた闇は強く色濃くなる。江戸には怪談が流行し、人々は超常のばけものを恐れた。

 異国からやってきた、盲目の老女。北欧でも百年前に失われた、ばけものを退治する一族の生き残り。
 西欧から妖精譚や怪物物語が近代までにほぼ無くなったのは、この一族が全て退治したからと言われるが───はてさて。

 怪異斬りの魔女、ザトウイチが対峙するのは、江戸の街に蔓延るあやかし。後に、江戸百物語と呼ばれる、百のあやかしたち。


怪之二、おやしりまつ


 お江戸からかなり離れた宿場町。お江戸と信州までをつなぐ街道である中山道。五大街道の一つに数えられており、石畳が続く整備された道の左右には、茶屋やお宿、民家が立ち並んでおりまする。人通りも多く栄えている様子でありやす。

 季節の頃はもう初夏。空はすっきりと晴れており、きっと入道雲が煌めいていることでしょう。あっしは生来のめくらでございやして、見ることは叶いませぬが。

 あっしは、お江戸を出発して丸一日は歩き詰めであったので、さすがにそろそろお休みをとろうかと、今日のお宿はここにしようと決めることにしやした。泊めてくださるお方を探していると、何やら喧騒が聞こえてまいりやす。

「だ、旦那……勘弁してくれぇ」

 騒ぎを聞きつけて集まった野次馬たちの隙間から様子を伺うと、お侍様が頭を下げて土下座をしているようでありやす。
 お侍様は古びた着流しと袴姿で、どうも立派な身分の方とはとても思えない格好。浪人でごさいやしょうか。

「ふざけやがって、文無しだぁ?! お前さん信州のお偉いお武家の一人息子なんじゃなかったのかよ」
「俺ぁ嘘はいわねぇ! そいつぁ嘘じゃねェ、ただちょいと、今は待ち合わせがなくてさ」

 どうやら賭場で負けた旦那の懐がすっからかんだったようで、胴元の男たちが困り果てている様子。男は情けなく地面に這いつくばり、胴元のやくざ者の足に縋り付かんばかりでありやす。

「あのなぁお侍さん。俺たちだってこんなことはしたくはないが、他の客に示しがつかねぇ。ここは、指一本でけじめをつけてもらおうか」

 旦那と呼ばれていた強面の男が、長ドスをそろりと抜き放ちまする。目の前の土下座男は、それにすっかりまいっちまったらしく、ひぃっと情けなく悲鳴を上げまする。

「あいや、失敬」

 あっしは、見物人の中から一歩前に出ると、仲裁に入りやす。

「あ? なんだ手前は。座頭か?」
「へぇ、しがない"めくら"の女座頭でありやす」

 あっしは男にならんで跪き、どうにか騒ぎが収まるよう懇願いたしやす。

「この殿方にちょいと用がありやして。この場はあっしが払いやすので、どうかご容赦をいただけやせんか」

 あっしはそう言うと、懐から銭を取り出し、胴元の男へ向けて掲げやす。

「あ? なんでこいつの連れか。銭さえあればそれでいいんだ。おら、他の客の迷惑だ、どっか行ったまえ」

 やくざの親分は、しっしっ、と手を払うようにあっしたちに向けると、踵を返して賭場の方へと向かいまする。
 ははーっと地面に頭を擦り付けながら言うと、目を白黒させる隣の男をひょいとつまみ、あっしはその場から逃げ去りやした。



「いやぁ、助かったよ座頭さん。俺ぁ信州の武田信行ってもんだ」

 茶屋の軒先で、あっしの奢りで甘味を食いながら、お侍様はそう名乗りやす。
 先ほどの賭場からほんの少しばかり街道を進んだ茶屋で、あっしたちは一息つくこととなったのでありやす。
 お侍様は文無しでありやすので、当然あっしの奢りで御座いまする。

「なんか俺に用があるんだって? なんでも聞いてくれよ。男、武田信行、この恩に一肌脱ぐさ」

 武田の御仁はそう気楽に笑うと、袖をまくって力こぶを作りやす。どうにもお気楽な、人の良い御仁なようでありやす。
 年の頃は二十の前半といったところでありやしょうか。ひょうきんな、どこか憎めない顔立ちであり、信州の方の訛りがありやす。
 袖先なんかにほつれのある着流しに、古びた袴姿でありやすが、その腰には立派な刀を佩いており、一目でお侍様だとわかりまする。

「へぇ。こう見えてあっしは、お江戸のお上からのご依頼で、探し物をしておりやして」

 あっしがそう切り出すと、武田の御仁は飲んでいたお茶をぶっと吐き出しまする。

「座頭にお上からの依頼だって?! 座頭さんよ、嘘にしたって、もっとマシな嘘をおつきなさいよ」
「へぇ、その探し物というのが、その「嘘」なのでありやして」

 あっしの言っていることが分からないのか、武田の御仁は片眉を上げ訝しみまする。

「探しているのは───嘘をつきすぎて肩から松が生えた"あやかし"となった、お侍様でありやす」

【続く】


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