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見えないものが描かれる(映画感想文)

5月末、そろそろ館内の空調に苦慮する季節の到来です。しかも当地では梅雨入りとのニュース。何もかもが前倒しでやってきます。

「せかいのおきく」以来の映画鑑賞でした。いくつも観たい作品はあれど何かと予定が合わなかったりするのは本気出してないだけ!と自分に喝を入れたりしています。

どうしてもスクリーンで観たい作品『TAR(ター)』の噂や、観た感想もTwitterで流し読みながら詳しい情報は避けていました。

いつもならネタバレなしで、よくわからない感想を書いているのですが、今回はネタバレありで、もっとよくわからない感想を綴ることになると前置きしておきます。

ドイツの有名オーケストラで、女性としてはじめて首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的能力とたぐいまれなプロデュース力で、その地位を築いた彼女だったが、いまはマーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと、新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、かつて彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、ある疑惑をかけられたターは追い詰められていく。

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ケイト・ブランシェット演じるリディア・ターがとにかく美しく完璧。この役は彼女にしかできないと感嘆しました。それもそのはず、監督、脚本、製作のトッド・フィールドが彼女に向けた当て書きだったのです。

ターは指揮者でもありピアノで作曲もします。役作りのためドイツ語とアメリカ英語をマスターし、ピアノと指揮をプロフェッショナルから本格的に学び、すべてのシーンをケイト・ブランシェット本人が演じきりました。オケの演奏も全て本物です。それは誤魔化しようのない角度からの撮影ですぐに理解できます。

彼女の周りにはオーケストラの団員やスタッフ、家族、投資家、音楽院の関係者、メディアの様々な思惑を抱えた人たちがいます。誰もが天才指揮者のターへの愛と支えている自負、振り回されている複雑な感情も見え隠れするなか、事件は起こるのです。

冒頭からスタッフロールと、ターが大学院時代に傾倒したシャーマンのイカロ(治癒歌)が流れ始めます。のっけから癒やされ、わけがわからなくなり眠りに誘われたのは私だけではなさそうです。正直、10分くらいはうとうとしていました。

監督のトッドは「子どもの頃に何がなんでもじぶんの夢を叶えると誓うが、夢が叶った途端、悪夢に転じるというキャラクターについてずっと考えていた」と話しています。人気と権力を手にした多忙な彼女は、自分の理想を追求するため周囲を鼓舞し、叱咤と自虐やユーモアで邁進するのだけど、いつしか理想のために蔑ろにしてきた存在に足を掬われるのでした。まあそういった設定はよくあるし人を惹きつけます。具体的な詳細は描かれず、過去形でスポット的に映し出されたり、会話や行動から想像する形で観客に不安を与え続けます。観ている時点では理解できず気づくこともないほど細やかに散りばめられているのもこの作品をリピートする魅力でしょう。

慕われているうちは叱咤激励だけど、そこに尊重や敬意が欠け問題提起が為されるとハラスメントへと反転するキャンセルカルチャー。現在では、いつ誰がその立場になるのか戦々恐々の日々です。だってそんな神聖な人っています?叩けば埃くらいは出るでしょう。身近な存在が不穏になる時を知るくらいには大人になりました。それは相手も同じかもしれません。

共に養女を育てるパートナーであり同じオーケストラのコンマスでもあるシャロン。仕事場や家でも一緒という彼女との絶妙な設定にも唸ります。事件が露呈した後半で、シャロンの放つ”なぜ私に相談しないのか”と続く発言には、少しゾッとしました。それはまるで親から子どもに言って聞かせるような態度であり愛情表現であったからです。互いに思い遣る理想と、単に受け止める冷静な現実。上下関係、立ち位置、バランスはいつだって難しいと感じます。

新たな才能に出会い抑えきれない昂揚感、秘書だと信じていた団員からの裏切り、綻びは加速度的に広がりターは壊れていきます。ここの描かれ方は息をのみました。

特殊な舞台設定でありながら、普遍的なテーマ。頂点を極めようとするターの幸せそうな場面は少ないからこそ印象に残ります。権力や名誉、仕事と家族を失い、実家へ戻り原点である古いビデオを見るター、新たな依頼を受け訪れた土地で観光をする表情、疲れたからとリクエストしたのに曲解された時の絶望感。

語り尽くせないし、ここで文字にするのも限界があります。

ケイト・ブランシェット自身もこれからのことを考えているような発言が報じられていました。

生きていると、一旦リセットしたくなるときはありませんか。

観た人と話したくなる作品でした。







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