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言いたいことなどないけど(映画感想文を書いてみる)

空回りするわたしを捨てて、列車に乗った​─── ───。

コンパートメントNo.6

空回る
自分を捨てる
列車に乗る
どれも覚えがあります。

〔あらすじ〕
モスクワに留学中のフィンランド人学生のラウラ。パーティでもどことなく所在なさげな彼女は、古代のペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く旅を楽しみにしている。しかし一緒に行くはずだった恋人にドタキャンされ、ひとりで乗り込む寝台列車6号コンパートメント。1990年代、見知らぬ人との出会いと会話の物語。

寝台列車への憧れ。いつかは乗る!くらいの熱量だと実現する可能性は薄いだろうとおもうんです。でも諦めたくない、そんなことありませんか。

憧れている存在と恋仲になるってどんな感じでしょうか。一挙手一投足が気になって仕方ないほど夢中になる恋。初期衝動の知りたいと夢中になる感覚や中毒症状のように求めてしまう体。でも一過性で長続きすることはありません。初期衝動のアドレナリンはすごいのでしょうね。作品でのラウラは寂しく不安なまま旅立つのですが、恋ってなんなのか気付く場面も印象的です。

主人公ラウラと偶然旅をともにするリョーハ。彼の佇まいは鋭そうでちょっとだらしない。ズケズケとした彼の態度に耐えきれず、同室は無理だと車掌に直訴するも無視される。知らないひとと狭い部屋で寝泊まりしながら旅をする感覚がひしひしと伝わる場面の連続。車窓からの景色と停車時間に列車を降り街を歩くシーンは最高。

初対面でいきなり失礼な態度だったりすると心のシャッターは降りたままかもしれません。行きがかり上、一緒に過ごさなければならない場合においては相手を知ることが自分を護る方法になります。もっと言えば相手に自分を知ってもらう必要があります。

最初は感じが良くても段々と素が出てきます。そこからが人間関係の面白いところだとおもいます。誰だってよく思われたい。嫌われたくない。素の自分はなかなか出せなくなります。だけど、リョーハはお構いなしです。苛立つラウラも素で接します。ここからのふたりの展開がとてもたのしいものになるんです。

ありきたりな言い方だけど、素敵とかそんなものじゃない通じ合った関係だとおもいました。通じ合うって良いことばかりじゃないし、理解できるからこそつらいこともあります。少なくとも私はそう考えます。

劇的なことは起こりません。そんな作品は日常の延長線上にあってふと思い出したりします。空回りするエネルギーがない今の私にはふたりが好ましく映りました。

いくつになっても旅はしたい。もし青春と呼ばれる年の頃のひとが読んでいたなら、迷わず旅に出てほしい。いろんなことと出逢ってほしい。おもわずそう願ってしまう映画です。





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