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2月7日に観た映画「イニシェリン島の精霊」は、いつも一緒だった友達に”お前を嫌いになった。話しかけるな”と告げられる場面から始まります。最後までふたりの男のやり取りが描かれる様は飽きることもなくお見事のひと言です。
しかし理由のわからない唐突な絶縁に、嫌われた男は納得できません。いつも行くパブの店主にも喧嘩したのかと軽く言われる程度。話しかけるなと言われたにも関わらず家に押しかけ、これまでと変わらぬ口ぶりで彼に話しかけます。
しつこくつきまとわれ、彼は理由を話します。
「お前の話は退屈だ」
このパンチは効きます。だけど男は納得できず仲の良かった頃の話を繰り広げるのです。(そういうとこだぞ!と心のなかでどれだけのひとがツッコミを入れたことか) 彼にはたまらなく退屈だったことでしょう。別れを決めた彼の心理が見て取れる演技も、彼が変わってしまったと諦めきれない男の演技も素晴らしいものでした。そして、危機一髪のときは自然と手助けをするその姿に安堵するのです。狂ったとしか言えない場面もあります。まちがいなくマーティン・マクドナー作品でした。
さて、分かり合えないときどうするのか。観終わったあと考えている自分がいました。 相手の意見を尊重するとき、自分の意見をないがしろにするとモヤモヤが残ります。じゃあ面と向かって本音を吐き出したならどうでしょう。スッキリはするけど反省や後悔の波がざざーっと押し寄せるのが常なのです。ここは伝え方とタイミングが大事だと何回も学びました。なにより一旦、受けとめること。苦しいけれど時間を置くこと。これがどうやら最良であると気付きました。できるかどうかは別問題なんですけど。
縁が切れたとプツっと断絶するよりも、つながっていた線をダルダルに緩ませ、浮きをつけて遠くへ流してみるのです。そうした間に環境も人間関係も思考も変化して、遠い過去の遺恨や失敗の意味が腑に落ちたりします。近視的になりがちなとき、普段とは異なる場所へ移動するという意味においてサードプレイスは必要ですね。
サードプレイスとか初めて書きました。やや緊張しますね。
映画のふたりにもサードプレイスがあったなら、と思ったりもしました。でもそれではあの緊迫感と面白さは描けない!!ひとにはひとの事情があるってこと、忘れずにいたいものです。あとひとを舐めたらあきません。同意のもと舐めるのは好きずきです。なんの話なんだか、まったくもってすみません。
ここで唐突な告知です
連休まえのウキウキする金曜の夜、
2月10日 21:30 open (zoom)
『涼雨よろづ相談所』を開きます
わたしが聞きたいことを涼雨零音さんに聞くシリーズ第1回です。クリエイターとして様々な配信をされている涼雨さん。音声配信standfmで話していた「審美眼とセンスの話」を聴いて、センスがいいってよく使うし言われると嬉しいけど、それってどういうこと?ぜひこの機会にじっくりと紐解いてみたいと思います。答え合わせではありませんのでお気軽に。顔出し苦手な方も聞き専でも大丈夫です。もちろん参加者からの質問や相談もおまちしています!お題から脱線するのもお家芸。いやはや面白くなりそうです!遊びにきませんか。
まだまだつづく映画の余韻。
強烈なひと言を思い出し、退屈な自分だからこそ面白い人と話をしたいのだと必死に答え合わせをしていました。そしてスローペースでもいいから続けてみたい。尊敬する濱口さんの言葉に励まされたので置いておきます。
https://twitter.com/hideshione/status/1583929811600171008?s=20&t=Tw16hj0pLPV6v-RQrh7fGA
読んでくださりありがとうございます。