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「頭がいい」とか「スポーツができる」とかが、社会に出ると『ビジネス戦闘力』に集約されてくるよね。

距離感。
ずっとお互いなんとなく気になるけど、ぐっと距離を縮めるほどのイベントは起こらない、という少女漫画のような距離感を経てがっつり仲良くなった(おじさんたちの話です)。これから何か始まる予感の多い良き夜でした。

人間苦手といいつつも、こういう夜があるから嫌いにはなれないんだろうななどと思う。そして、自分たちのことをおもしろがってくれる人と、そもそも興味を全く持ってくれない人とがいるなーってのをひしひしと感じる。少しでも興味のある人は、警戒しつつも、生き方や想いみたいなものを尋ねてくれる。同年代以下の人の方がその比率が高く、盛り上がることが多い。20代のインパクト界隈というかソーシャル界隈というかの人たちの方が話が合うのを感じる。

一方で、ビジネス界の同年代以上の人たちはほとんっど興味を持ってくれない。なんかいるなーくらい。その相手にもしてなかった奴らが注目されてるのを見てイラッとしてたりする。「なんであんな奴らが注目されるんだ!(俺を置いておいて)」である。それもある程度仕方ないかなって思ってて、というのも自分のこれをやれば評価されるって軸から大きく外れてるものが評価されちゃうと土台が崩れるからね。

たとえば学生時代だと「頭がいい」みたいなことが評価されがち。でも社会に出ると最初の数年は「頭いい」ってことを言ったりする(たとえば、こいつ東大だよ、的な)けど、三十歳過ぎたらそんなことはなんらの評価にならない。というか正直関係ないしね。ここにいう頭いい悪いってのは、特定環境下で発揮できる能力がちょっとだけ高いor頑張ったくらいのものでしかない。そういうことが言語化されるかされないかわからないけどみんなわかってくる。

一方で根強いのが、ビジネス戦闘力である。仕事ができるってのもそうだし、経営者なら売上何億とか従業員何人とかそういうもの。この社会において仕事ってものの影響力が大きい以上、ビジネス戦闘力はどこでも使える便利な指標ではある。もちろんそこに至るまで様々な経験をしている人が多いことから、人間的に素晴らしい人がいるのはわかる。でもそれは別の土俵であっても同じなので、ビジネス戦闘力と人間的魅力は一切関係ない。まー一切は言い過ぎかもで、ほとんど関係ないくらいかな。

ビジネス戦闘力の高い人から見たときに僕たちは「戦闘力たったの5のゴミめ」とばかりに瞬時に判断され、視界から瞬殺される。こちらの自己紹介はもはや彼らにとっての貴重なSNSタイムへと変わる。

そう変わっていたにもかかわらず、彼らの考えるビジネス戦闘力の高い人が、僕たちのことを高く評価してたりしたときに、彼らの中でバグが生まれてる。あれ?なんか今までのゴミと違うぞ?と。そうすると、酸っぱい葡萄よろしく2パターンに分かれる。1、見直す。2、どうせ大したことないと否定する。心理学や童話みたいなものは非常によくできてて、人の行動をよくもまーうまく類型化したものだ。認知的不協和。こういうところでも起こってる。


とまぁ相手が本当に考えてることなんてわからないんで、上記の彼らの行動も僕の妄想といえば妄想です。ただ検出される行動の断片を矛盾なく説明できる(できちゃう)ので、一旦そんなふうに整理してます。


これから数日は、ある種その「ビジネス戦闘力」がより強く評価される場にお邪魔する。ぼくは何を思い、何を感じ、何をするのか。とても楽しみ。


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頭の中がうるさい。でも、それでいいのかもしれない。

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