その「不利益」に囚われて、大切なものを捨ててないか?

「不利益」があるときに、自分がこっちが正しいなーってのを選べるかどうかって結構重要だと考えて、日々そういう場面に出くわしたら、自問自答する。

「それ、逃げてない?」

と。

具体的には何かのコンテストや試験やイベントで、そりゃあ運営側の言うことを聞いておくのが良いわけですよ。
彼らが「あぁこいつらめんどくさいから選ぶのやめよう」ってなるのもわかるので。

そんなこと絶対しない!っと言ってたとしても、人間だから影響するのは仕方ないし、それに対して腹が立つとかはないのです。



そんなことより、その「不利益」に囚われて、自分の大切なものを捨ててないか?という自分自身の話が重要。


ちょっと飛躍するけど、短期的にこの「不利益」を避ける意思決定をしたとして、超長期で考えた時、より善い人生を毀損することは全然ある。
というか、その避ける意思決定の瞬間毀損している、そんな気がするんですよね。



こんな逸話がある。
杉原千畝。
映画にもなったから知っている人も多いのかもしれない。

第二次世界大戦中、ドイツの迫害によりポーランドなど欧州各地から逃れてきた難民たちに、大量のビザ(通過査証)を発給し、避難民を救った。

その良し悪しを判断する力は僕にはないんですが、当時の状況下に置いて、その選択をすることで杉原さんに「不利益」が生じることなんて容易に想像ができる。本人もわかっていたんだと思う。

ああ、俺これやったらめっちゃ怒られるんだろうなー。

とかとか。

だけど、やった。
多くの避難民たちに、ビザを発行した。


杉原さんは、そっちのほうが正しいって思っただけで、それに殉じた。


彼が当時のことを聞かれて発した言葉

「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです。」


自分の中の「当然のこと」に殉じられる生き方をしたいものです。

おあとがよろしいようで。






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