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ただ書く、よ。

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「好きなことをやって生きていく」の先。

大きなプロジェクトにアサインされた。実はあまり最近はこういうことはない。自分のやりたいことだけやってると、誰かとやることも相対的に減るものなのかもしれない。 ただ一方で、自分一人でやりたいことをやり続けるのって、とても虚しいというのも感じるようになった。いや、ちょっとだけ正確じゃないな。きっと、人は一人ではやりたいことをやり続けられないんだと思う。内側から湧いて出る「やりたい!」って気持ちも、どこかで誰かのためになることが必要なのかも知れない。 誰かの要望に応え続けて人生

「相手も成長してるかもしれないし、チャンスあげてもいいかもね」と凄い人に思えるか?

名前を言うのは憚られるんですが、一緒にファンドをやってる人がこんなことを言ってました。 「相手も成長してるかもしれないし、チャンスあげてもいいかもね」 これ、こちらがかなり立場が上で、相手が失敗した時ならまぁわかるんですよ。でもこの発言したのって、僕らがVCを立ち上げる時に回ったかなり年齢上の、数十億円後半のイグジット経験のある先輩起業家に、「いやいやお前ら全くファンドのこと分かってないやん。当然投資しないよ」と断られた人に対して言ってるんですよ。僕は衝撃でしたよ本当に。

他者の評価に翻弄されることと、自分の納得感との複雑な関係。

誰かのための文章を書くのはそれはそれで楽しいけど、やっぱりこうして何の意味もないと分かった上で書く文章の楽しさに比べるとちょっと違うな、なんて思う。 評価される文章を書くことができたとして、それを評価されても嬉しくないわけです。狙い通りというか、特にパルプンテは起こってないので。だけど、胸の中にある本当の気持ちや、考え抜いた自分の思想を誰かに評価されるとそれはとても嬉しいわけです。評価されようと思ってやってないから。パルプンテ。とても嬉しい。 「評価される文章を書いた」つ

得意なことが、新しい領域に連れて行ってくれる。

得意なことから、新しい領域に入っていくのいいよって話。 領域は変え続けていけばいいと思うんですよね。逆にその時その時の興味関心に合わせて動けないと結構しんどいというか。「この領域の専門家!」ってのはそこにハマり続けてるならいいけど、ちょっとでも無理してるならどっかでつらくなる(研究者の方とかはいいですよね!)。 たとえば僕は、法曹業界、教育業界、スタートアップ業界、(ちょっと特殊で)VC業界、みたいなところにいると思ってるんですが、これどれか一つだけだとバランス崩してると

なにもかも中途半端。だからうまくいく。

ちょっと自惚れてた。でもよく考えたらそりゃそうだよなってことに気がついたんで、今日はそんなお話。 まずですね、僕は属性が多いです。弁護士(だった)、経営者、VC、みたいな感じで複数のものをもってます。そしてですねー、これはそれぞれに言えることなんですが、総じてレベルが低い!全部Lv5くらい。ギリ、最初の中ボスっぽいの倒せるかなくらい。ひどい。そして、領域の広さゆえにいろんなトップクラスの人たちと出会う。それこそ、経営者レベル80みたいな化け物たちと、お話ししてもらえる。あり

続けられるものしか続かない。けど、

続けられることしか続かない。 当たり前のようで結構見逃しがちなんですよねこれ。なんか初期衝動で何回かはできちゃうから。ここの見分けが難しい。 例えば仕事とか、SNSに連続投稿するとか、なんでもいいんですけど、こういうの何か読んだりしたら「わーいいなぁ」って思って始めて、続かなくて落ち込んでっていうワンセットが多い。だけどこれ確実に前に進んでるのでもっとおすすめしたい。「自分はその形だと継続できない人間だ」ってわかるのは本当にすごくよきこと。 例えば僕の場合、月額の顧問料を

自分の中を、空っぽにする。

自分の中を空っぽにする。 色んなことが、自分のところで止まってる。連絡しなきゃ行けない人がたくさん、次の打ち手を思い付かないといけないことも、書籍の目次も、オレキャンの位置付けも、セトフラゲストも、病院行ったり歯医者行ったりも、決めなきゃならない家族のことも、1日一冊の読書も、掃除も、新しい実験も。とてもいっぱいいっぱい。習慣になってることが疎かにもなってる。 そんな時は、全部無視してnoteを書く。 誰に何と言われようともnoteを書く。そうしてバランスを取り戻す。こん

いつもエネルギーをくれるのは、若い人、起業家、研究者、そしてオタク。

前職時代の友人と岡山でご飯。こうしてわざわざ来てくれて、楽しい夜が過ごせるの、当時頑張っててよかったなぁなんて思う。 話してて「何かやろう!」って気持ちになる人との会話はすごく楽しい。エネルギーない時は基本的に本からエネルギーを取得してるんですが、たまにめちゃめちゃ知的な好奇心に飢えてる人に出会って、その人が感動したことを一生懸命伝えてるのをみると、書籍10冊読んだくらいのエネルギーが湧いてくる。ビジネスとかでもそうだけど、「うわ、これ僕も調べてみたいな」って気持ちになる。

コミュニティは苦手。推し活は得意。

イベント登壇に福岡に。街として結構好きで、誰も話す人いなかったらフラフラしようかなぁって思ってたけど、一緒に登壇した人たちと盛り上がりすぎて、終わった後なんだかんだ8時間くらい一緒にいた。よかった孤独にならなくて。よかった楽しい時間になって。なんとなくお互い認識している状態から、がっつり仲良くなるその時間、とても尊いよね。 イベントは、モデレーターかつパネリストって超絶難しいポジションを120点以上でこなしつつ、会場の温度感を上げまくってくれた方のおかげで大変に盛り上がった

若い人たちの足を引っ張ってるのかもしれない。

モヤモヤする。 特別な体験をしなければ評価されないんであれば、みんなは「特別」になろうとする。「何者か」になろうとする。常にその重力に引き寄せられながら、「それだけじゃない」って強く意識しなきゃいけない。ちゃんと生きようとするだけで体力も気力も少しずつ奪われていく。大変だ。 気がつけば同じテーマばかり書いている。 今の僕の頭の中はそこがメインテーマなんだろう。noteを書いてて、あくまで自分のために書くと決めてから一度楽になった。ある意味一番正直な場所。素直なところ。それを

Q.好きな仕事がない私は、どんな風にキャリアのこと考えたらいいですか?

お手紙いただきました。 ありがとうございます。 「仕事でやりたいことがない」めちゃくちゃわかります。ぼくも10年以上ずーーーと悩み続けてきました。ちょっとそんな観点からお話しできたらなと。 いきなり結論なんですが、「仕事でやりたいこと」は、なくてもいいです。というかそんなの持ってる人いるんですかね?持ってるって言ってる人にちょっと聞いてみてもらいたいんですが、そのやりたいことって家でNetflix見るのとか、漫画読むのとかより楽しいですか?と。そしてきっと「楽しい」って返

好きなことだけやってるとバランスが悪くなるという誰も知らない真実を知ってしまった。

今日は散文的に。 物語を必要とする日々 若い頃は物語が必要でした。物語に逃げ込んでいたと言ってもいい。現実が辛いってほどでもないけど、でも、現実以外の居場所が欲しかった。家族と仲良かったとしても、一人にはなれなかったような気がして。一人になりたかったんでしょう。物語は、圧倒的に一人を許してくれる。そんな物語をいつもいつも読んでいました。 最近はそこまででもないけど、ふとおすすめされた小説『何もかも憂鬱な夜に』を読み、現実とのピントがかなり狂った。僕が今認識してる世界って

勝手に判断され、勝手に失望される。けど、

自分が本当に伝えたいこととか、大事にしてる価値観とか、意図とか意義とかそういうものを全部置き去りにして、目の前の相手の持ってる「ものさし」で一様に測られ、判断され、会話が繰り広げられる。吐きそうになる。以前はここまで気になってなかったと思うけど、最近は結構ほんとにきつい。これは僕が弱くなったからなのか、感度が上がったからなのか、そんな人にたくさん会ってるからなのか、逆に会ってなくてたまにあるからなのかわからないけど。 振り返ってみると、以前からそのダメージは無意識下で受けて

「才能」の領域だと思ってたことは、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。

ちょっと前なんですが、noteの創作大賞2024の中間審査の発表があり、ありがたいことに突破させていただきました。作品数的には、52,750作品のうち、305作品に選ばれてるので上位1%くらいに入れてもらった感じです。 実は2022年にも創作対象に出してて、そちらも中間審査は突破してたりします。こちらは小説ですね。こちらもだいたい上位1%くらいかなぁという感じ。 もちろん単純なランキングではないし、ぼく個人の感覚としては、文章なんて好きに書いて、その人しか出せないものが残