私のキャリアにおける忘れられない「原体験」 仕事をする意味って?

こんにちは、くみょんです。
今回は少し住宅ローンから離れて、私のビジネス人生を変えたできごとについて書いてみたいと思います。

✅静岡県浜松市の住宅メーカーに就職

私は東京の女子大を卒業後、静岡県浜松市の住宅メーカーに就職しました。その理由はまとめると次の3つです。

1.実家をその住宅メーカーで建築し、その時の社員の人たちが素敵だった
2.会社が掲げている理念が等身大で共感できた
3.出来上がった大きな会社に入るより、これから自分も一緒に成長していける規模の会社に入りたいと思ったから

✅本社の融資管理部門に配属

70名程度の同期がほぼ営業課や工事課に配属になる中で、私は本社の融資管理部門に配属されました。お客様の住宅建築にかかる資金計画を管理し、入金管理や住宅ローンの手配、銀行との提携交渉、登記手配などを行う部署でした。
中でも大きなウェイトを占めていたのは、全国400拠点、2,000人以上の営業社員からの相談や問い合わせに対応することです。

配属されて初めて取った電話のことを今でもよく覚えています。その電話は青森展示場からで、方言がうまく聞き取れなかったので・・・(笑)

毎日毎日電話を取る中で、少しずつ知識をつけ経験を積み、部署の先輩方のように営業社員名前を覚えてもらい、名指しで相談をうけたときは本当にうれしかったものです。

「いつもありがとう」の言葉に仕事の意味を実感する


入社して3年目くらいのとき、当時のトップ営業社員から「○○さんが来てくれて本当に相談しやすくなった。いつもありがとう」と言ってもらいました。「ああ、私はこのために仕事をしているんだ」「これが仕事をするということなんだ」と実感した瞬間でした。

「働くというのはね、はたを楽にすることを言うんだよ。周りの人が楽になるように動くことが、働くということなんだよ」と祖母から聞いていた話に腹落ちしたのもこの時です。

今でも思い出すと心がほんのり温かくなり、初心を思い出させてくれます。
私の仕事における「原体験」と言えると思います。

女性が活躍している部署に配属された幸運

この融資管理部門は、女性ばかりの部署で先輩方はみな営業所から選ばれて本社に来た方々でした。私は5年間ずっと下っ端だったので思うこともいろいろとありましたが、先輩方が専門的な知識と豊富な経験を持ち、本社内でも一目置かれ、女性として唯一本社内会議にも呼ばれるような環境で最初のキャリアを築けたことは幸運だったと思います。

他の本社系部署はもちろんコアには男性がいて、女性は男性を職人のように補助している図式がほとんどでした。私の部署の先輩方はそんな他部署の男性にも物怖じせず「物申し」ていました。
そんな姿を見て、「きちんと自分の意見を言う」や、「忖度しない」というスタイルが自然と身に着いていったと思います。

✅身に着いたのは「傾聴力」と「自分の意見をはっきり言うスタイル」


加えて、この融資管理部門の期間に身に着けた「傾聴力」や、全国50以上の銀行や、司法書士とやりとりすることで得た専門的な知識はその後私のキャリアでとても役に立つことになります。

「就職ガチャ」なんて言葉もありますが、私はこの会社を選んで正解だったし、配属先にも恵まれたと思っています。私が在籍している間に、販売棟数は年10,000棟を超え会社は業界1位にまで成長しました。それを本社でダイナミックに感じられたことは本当に幸運だったと思います。

そして、6年目の夏、私のビジネス人生を変える出会いが訪れます。
続きは次回。


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