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私のキャリアの転機について~社会人5年目で出会った尊敬できる恩師

こんにちは、くみょんです。
今日は社会人5年目の私に訪れた転機について書いてみたいと思います。

私のキャリアの「原体験」についてはこちらをご覧ください。

✅社会人5年目、少しずつマンネリ化

私は静岡県浜松市の住宅メーカーでキャリアをスタートさせました。配属されたのは本社の資金管理をする部署で、女性の先輩たちに囲まれながら、全国の営業社員や金融機関と対峙していました。

同じ部署で3~4年も過ごしていると、だんだん新しいこと、分からないことが少なくなってきます。たまに起こるトラブルについても、「解決策」までは見えなくても、「誰にどういう風にアプローチすれば解決策が見出せそう」という道筋は分かってくるものです。

私も一通りの経験をして、ほとんどのことは1人で捌けるようになっていました。会社は急成長していたのですが、それをあまり感じられずに、「同じような毎日だな」と思うことが増えていました。このまま私はここで先輩たちのように、おしゃべりをして、Yahooニュースを見ながら気ままに仕事をしていくのか、と思うとどうも釈然としませんでした。

✅突然、本当に突然やってきたチャンス「人生無駄なことなんてない」

そんなある日の昼休み、1人の人物が私の部署にやってきました。私の目の前の席に座ると、「この部署にTOEICの点数が高い女性がいると聞いたんだけど」そう言ったのは当時の社長でした。

私にとってそれまで社長は雲の上の存在であり、話したこともありませんでした。ただ、「TOEICの点数の高い女性」が私のことだろうというのはなんとなく分かりました。

そのまま社長室に連れていかれ、あるビジネスレターの英訳を頼まれました。私は英語教育で有名な女子大出身ですが、周りに帰国子女も多くいた中で自分の英語力がとりわけ優れているとは思っていませんでした。ただ、大学を卒業してからもTOEICは2回ほど受験し、点数はキープしていました。

そうはいっても、実践のビジネス英語なんてよく分かりません。社長の書いたある国の大使館に向けたレターは専門用語も多く難解でした。それでも、「これは本気を出さなければ」という妙な意気込みがありました。その日は、それまで一度もしたことがなかった残業をして、夜9時まで頭が沸騰しそうになりながら英訳をしました。

翌朝7時に出社してくる社長を掴まえて、必死で作ったレターを見せました。私はレターヘッドも知らず、ビジネスの言い回しもへたくそだったと思いますが、社長は忙しい時間を割いて、一言一句添削をしてくれました。社長は海外生活が長く、英語はペラペラなのです。
自分で書いたほうがずっと早いのに、根気強く私の英訳のチェックバックに付き合ってくれました。私は期待に応えようと、できる限りのスピードで修正し、何回も何回も社長室を訪ねました。

そして、それからというもの、社長から英訳を頼まれるだけではなく、社内横断のプロジェクトのメンバーに選ばれたり、次々と新しいことに巻き込まれていくようになりました。

「自分が大学時代にそれなりに頑張ってきたこと=英語」が、自分のビジネス人生の転機を連れてきたと思うと、「人生に無駄なことなんてない」という気持ちになりました。

✅10年近くたった今も「恩師」

社長に声をかけられたあの昼休みから、私のビジネス人生は変わりました。のんびり過ごしていた毎日が、ジェットコースターのような日々に変わり、本当にいろいろな経験をさせてもらいました。

その3年後には女性初最年少の部門リーダーになり、対外的な「キャリアセミナー」に登壇したり会社のマネージャーが集まる会議で発表もするようになりました。

そんな時、社長はいつも味方でいてくれました。私の仕事に対し、「早くて正確」と褒めてくれていました。私が新規事業の責任者の一人に抜擢され、うまく行かずにもがいていた時、関係者を集めて「協力しろ!」と一喝してくれたこと、忘れません。

当時の社長とは、退任してからも、また私が退社してからも良好な関係を築いており、定期的に話をしています。ビジネスに関することを相談できる文字通りの「恩師」です。

キャリアの中でどんな人と出会うか、「心から尊敬できる人に出会えるか」というのは本当に重要ですが、そうそう出会えることではないものでしょう。私は幸運だったと思います。また、もう1人、私のキャリアに大きな影響を与えた人がいるのですが、その人についてはまた後日。



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