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『宇宙(そら)へ』 ~「計算者」たちのもうひとつの物語~

 冷戦時代、宇宙開発競争がヒートアップするさなかで、膨大な量の計算を紙と鉛筆で行っていた人たちがいた。映画『ドリーム』(2016)やその原作『ドリーム NASAを支えた名もなき計算手たち』(ハーパーコリンズ・ジャパン 2017)でも描かれていたように、黒人を含む女性たちが、ロケットを宇宙へ送りだすために必要な複雑かつ大量の計算を担っていたのだ。

隕石落下による環境破壊で地球に住めなくなる

 『宇宙(そら)へ』では、戦争中は陸軍航空軍でパイロットを務めていたエルマがその計算者のひとりだ。ロケット科学者の夫とともに、巨大隕石落下後の大混乱を生きのび、人類を地球から脱出させるための宇宙開発計画に奮闘する。
 巨大隕石の落下によって地球環境が激変したことで絶滅したといえば恐竜だが、かれらと違って人類には科学技術がある、というわけだ。恐竜を取りあげたTV番組などでは、隕石落下の衝撃そのもので一瞬にして死に絶えたように表現されることが多いけれど、実際には大気を伝わる衝撃波や付随して起こる火災で落下地点周辺の動植物が全滅したあと、大気中に拡散した塵埃や水などのせいで気候変動が広がり、生息に適さない環境になっていったのだろう。

宇宙開発の「広告塔」から少女たちの「あこがれ」へ

 最初の衝撃を乗りこえてから、その明敏な想像力と計算力によって極端な地球温暖化を予測したエルマだが、「もうじき地球には住めなくなる」ことを世間の人々に納得させるのは簡単なことではない。人々はどうしたって、”のどもと過ぎれば……”と目の前の日常にもどっていってしまう。
 そんななかで、ある意味「広告塔」として女性宇宙飛行士(レディ・アストロノート)を体現してみせるエルマには、人前でしゃべるとなると緊張のあまり吐いてしまうという問題があった。

 そもそもエルマが人前で話すことにここまでの恐怖を感じるのは、女の子としての振る舞い方について母親から“呪いの言葉”を刷り込まれたことに加え、優秀さゆえに飛び級で進んだ大学で「若い女の子」とバカにされたことがトラウマとなっていたのだ。
 しかしエルマは、その呪いの言葉をまったく逆の意味でとらえなおすことで、呪いを解くきっかけを得る。

シスターフッドに胸が熱くなる

 エルマ以外にも、同じく元パイロットの女性たちが宇宙飛行士を目指す。まず第一に女性であることで、さらには人種の違いによって差別を受けながらも、彼女たちはあきらめない。候補生になってからもお飾りあつかいされることにもめげない。時に対立しながらも助け合う彼女たちから感じられるシスターフッドか実に心地良い。

 日本で同時期に翻訳刊行された偶然からか、N.K.ジェミシン『第五の季節』(創元SF文庫 小野田和子訳)やアナリー・ニューイッツ『タイムラインの殺人者』(ハヤカワ文庫SF 幹瑤子訳)とならんでフェミニズム小説としても注目される本作はまさに今、読まれるべき一冊と言えるだろう。

おまけ

 最後に余談になるが、大災害を逃れてきたエルマが、身を寄せたリンドホルム夫妻の家でサラダを作るシーンに引っかかりを感じた。
 ニンジンを摺りおろす、といったら私の感覚では大根おろしと同様のみぞれ状のが思い浮かぶ。しかしここではおそらく、スライサーで千切りにしたのではないか。よく見かける4面のスライサーはチーズおろしに使うこともあって、卸し金と呼ばれることも多いから紛らわしいのだが。
 こうした生活の細やかな描写も、事態の深刻さとの対比が美しく切ないので、それだけにちょっと惜しいと思ってしまった。




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