【活動録】第19回カムクワット読書会
本日は横浜のいつもの場所で開催しました。参加者はリピーターの方が2名でした。
『##NEME##』読書会
自己紹介
今回は「最近読んだ作品」と「いま読んでいる作品」を教えてくださいとお伝えしていました。
紹介形式の読書会ではないのですが、アイスブレイクとして良いなと感じたので、続けてみようか検討中です。
読書会
以下は読書会で聞いた意見や疑問を含め、変化した個人の感想です。
「わたしをわたしたらしめるものは何か」を考えながら、本作品を読みました。夢小説に自身の名前を入力せず、ジュニアアイドルと本名、アイドルの美砂乃からもらった名前。それぞれが主人公にとって、異なるものでした。
また、場所によっても、彼女の役割は異なりました。撮影会や学校、CM撮影現場、家庭、SNS。
場所による違いは、人間関係の違いでもあるかもしれません。
もうひとつは年齢。小学生であるころは選択権は親にあり、中学生になって「やめたい」と言えるようになり、大学生になってクライマックスの選択をできます。
つまり、わたしはひとつのわたしではなく、いくつものわたしたちの集合体を、便宜的に「わたし」と称しているような気がします。なので、あのクライマックスは「わたし」になることを決めるシーンとして、未来へ一筋の光が差したのではと思います。
しかし、それは主人公側からの視点で、彼女に「名前」を授けた美砂乃は、彼女から名前をもらえませんでした。美砂乃をアイドル視するあまり、対等な存在になれなかったからでしょうか。
なかなかアイドルという消費対象から抜け出すことができず、結婚というかたちで抜け出すことになりました。それは主人公とは関係ない別の人生です。
また、消費というキーワードで考えると、ジュニアアイドルのまわりには多くの関係者がいます。事務所や撮影者、ファン、そして保護者。それらが異なるかたちで、子どもたちを消費しています。
そして、本作の鍵のひとつ「夢小説」は、二次創作の一種です。そこで描かれるキャラクターは消費されているかという疑問には、もちろん消費されていると答えました。
しかし、本文を書きながら思ったのですが、キャラクターは生み出された時点で、すでに何らかの「目的」によって消費対象になっているのではないでしょうか。
二次創作になると、消費の対象に欲望を追加して生み出すので、露骨な消費に変化する。これを「愛」と呼んでしまうのは、DVみたいだと感じました。
創作の対象が生きている人間になると、そのグロテスクさは驚異的でしょう。「思っていたのと違う」と石を投げ、「恋はするな」と足を引きずる沼の中の化け物たちが、うようよ蠢いている世界で、果たして消費されない存在って何だろう。
そのような疑問が生まれて、収拾がつかなくなったので、感想はここまで。
ランチ会@Cafe + Diner Style
急遽予約したお店は平沼橋に近く、こじんまりとしていながら、天井が高いからか広く感じました。
食事はおいしく量もありました。看板犬がいて、大人しく触っても怖がらないので、とてもかわいかったです。
また、ランチ中も本の話題になり、市川沙央さんの『ハンチバック』や書店員は読書会に参加しない説などを話しました。
お二人とも、ランチまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
次回予告
次回は10月21日(土)10時半、横浜にて開催予定です。
課題作品ではなく、レーベル縛りをしようと思います。
近日中に募集を開始するので、ぜひご参加いただけると嬉しいです。
それでは。
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