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言葉と献身を振り翳す私へ。

まず、言葉の熱量や重み。タイミング。
そして、脳内のフェアリー達がせっせと言葉を取捨選択し、選りすぐりの言葉で究極の優しさを表現し、見えない思いやりで仕上げた言葉の集大成を、慎重に、
そして大切に私の心と表情を用いて相手に伝える。

それはきっと今までのたくさんの経験からだ。

しかし伝える対象全てが、これまでの過程に共感を持ってくれるのだろうか。結論からするとほとんどの対象にはこの言葉は響かず、共感も得られない。ちょっぴり残酷な事実だ。残酷だなんて言われても、この一連は全て私個人の意思によって行われていて、当然のことだが目には見えないのだから、仕方ないという気持ちもある。

周りにふと手を差し伸べ、助けたり守りたくなったりする気持ちは、相手を信用しているからとか、大切に感じているからとかそういった気持ちももちろんだけど、それよりも先に、意識とは違うどこかですでに動いている。そういうものだった。

では、この不特定多数への『献身』は自分にとってどんな意味があるのか。
誰かに、何かに、そこまでするのはなぜなのか?

・・・と、ここで、1つ、悲報が入ってきた。

私が長年おこなってきた不特定多数への『献身』は、その大半が、とどまることもなく遠く濃い霧の中へと埋もれ消え去っているらしい。

悲報もここまでのものがくると、笑い泣けてくる。

この悲報が届いた時、干支が一周分離れた、その分
逞しく見える虎が、偶然にも私の隣に座り、そっと、力強く伝えた。

「君を否定をするわけでは決してないけど、人間って難しいから、相手に対する自分の思いとか気持ちって一方通行になってしまうことが結構多くて。
『もの』によっては共感し合える人物自体が違うこともあるし、だから『言葉を選ぶ』ことの理由や目的とか、そういう不特定多数への『献身』は自分にとってどんな意味があるのかとか、誰かに・何かにそこまでするのはなぜだろうって。

君を見てると、そう思ってしまうんだ。

人として二面性をもつことも必要だったり、場合によっては【あきらめること】が得策だったりもするんだよね。深く考えれば考えるほどわけわかんないし、人間って難しいってことになっちゃうんだけどさ。
自分がどうしたいとか、思ってることも考えてることも、まず第一にそこからなんじゃないかな?」

「優しさは決して全対象に注ぐ必要はなくて、逆に自分自身も優しさを注ぐ対象の1人なんだって君は気づくべきなのかもしれない。
でも、それでも、君は決して間違ってなんかなくて、その献身を少しだけ自分にも分けてみるところから、そうやって少しずつ、、。」

逞しい虎からの言葉と想いは、綺麗に輝くまん丸の月にうっすらとかかる灰色のうすい雲が広がる夜空そのもののように感じた。

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