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生きてみよう

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初めまして🔖

初めまして。都内の大学に通う学生です。 大学では心理学を専攻しています。 「なにか初めてみたい」という思いで 今、文章を綴っています。 きっと、埋もれてしまっているけど日常には 素敵な場面が溢れている。それを見逃してしまうのは 勿体ないなと感じています。 いや、素敵じゃないかもしれない。 素敵じゃない残酷な日々ももしかしたらあるかも しれない。 それに気付いて、書き留めていきたいと思います。 素人のため、見苦しい部分があるかと思いますが、 暖かい目で見守っていただけると

    • こんばんは。お久しぶりです。 皆様お元気でしょうか。何となく綴ることをやめてしまい、今久しぶりにnoteを開いているところです。最近、Twitterで重い病気を患われている方のプロフィールに「生きたい」と書いてあって、なんて残酷で美しいのだろうと涙を流しました。

      • 行間は言語

        行間はひとつの言語だと思う。 私は空を見上げた こんなにも空は広かったのか という文と 私は空を見上げた こんなにも空は広かったのか という文とでは想いが違うように感じるのである。 勿論、情景も。 私はずっと独りだった あなたと一緒にいたはずなのに と 私はずっと独りだった あなたと一緒にいたはずなのに でも違うと思うのだ。 不思議だ。一言一句同じなのに。 やはり、行間はひとつの言語であると思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

        • 堅苦しく書きたかったので1つ前の投稿はSEKAI NO OWARIと書いてますが、いつもはセカオワさん、セカオワさんと呼ばせていただいています🧸憧れの人ってなんでこんなにも人生を豊かにしてくれるんでしょうね…

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        初めまして🔖

        • こんばんは。お久しぶりです。 皆様お元気でしょうか。何となく綴ることをやめてしまい、今久しぶりにnoteを開いているところです。最近、Twitterで重い病気を患われている方のプロフィールに「生きたい」と書いてあって、なんて残酷で美しいのだろうと涙を流しました。

        • 行間は言語

        • 堅苦しく書きたかったので1つ前の投稿はSEKAI NO OWARIと書いてますが、いつもはセカオワさん、セカオワさんと呼ばせていただいています🧸憧れの人ってなんでこんなにも人生を豊かにしてくれるんでしょうね…

          「静寂の音が煩くて」

          少しばかり、サボってしまいました お久しぶりです kumori☁️です このページを開いてくれた貴方に心から感謝しております ありがとうございます 最後まで読んでいただけると嬉しいです🕊 𓂃𓈒 𓂂𓏸 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私はSEKAI NO OWARIが昔から大好きなのだが、 冬に聞きたくなる有名な“あの曲”の中で素敵だなと思うフレーズがある 言わずもがな、silentの歌詞に出てくる「静寂の音が煩くて」である みなさん、『この恋あたためます

          「静寂の音が煩くて」

          幸せは失うのが怖いから、始まりたくない。始まりがなければ終わりもない。

          始まりがなれけば終わりもない 何でもそうだ 幸せを失いたくないのなら、幸せを求めなければいい 幸せを手に入れなければ、幸せを失うこともない そう言い聞かせていたのに、どうしようもなく貴方が愛おしくて幸せを手に入れたいと思ってしまった 始まってしまったら、終わりがまっているかもしれないのに あれ?なんで、「終わる」という前提で考えているのだっけ? kumori☁ ※スナフさんから写真お借りしました ありがとうございます

          幸せは失うのが怖いから、始まりたくない。始まりがなければ終わりもない。

          特技を強要される世界

          何においても、「特技はなんですか?」 特技、なんでなくてはならないのだろう 好奇心の程度を知りたいのだろうか 何事においても挑戦出来てきたかを知りたいのだろうか 努力の程を知りたいのだろうか 特技がないと望ましい人間ではないのだろうか 確かに、特技があればそれだけでどんな人間か理解しやすいのかもしれない それだからといって特技のない人間は、必死に特技を作らなければならないのだろうか そもそも特技は目に見えるものでなければならないのだろうか 目に見えないと、評価できな

          特技を強要される世界

          イルミネーションはただの光

          私にはイルミネーションを綺麗だと思える一般的な心がないみたいだ 昔、好きな人とも見に行ったこともあったっけ 何が綺麗なんだろうと思いながら、雰囲気を壊さないように、「綺麗だね」とその場限りの言葉を呟いた イルミネーション、イルミネーションというが、所詮ただの光だと思ってしまう だって、人が様々な形を意図して配置したものが光っているだけじゃないか こんなこと誰かに言ったら感性を疑われるだろうか まあ、別にいいのだけれど 一か八かで“君”に言ってみる 「私、イルミネーショ

          イルミネーションはただの光

          花束

          花束を見ると複雑な気持ちになる 花束を買った人の物語を考えたり、花の立場を考えてみたりする ワクワクするし、モヤモヤする 「あの人は記念日に恋人に渡すのかな」 「あの人は母の日にプレゼントするのかな」 「あの花は売買されるための生だったんだな」 「あの花はまだ日光を浴びて生きれたのにな」 花束を売買するということを否定するのではない 花屋で花を見ると素直に綺麗だと思う ただ、モヤモヤする時があるのだ 勿論、こんなことを考え出したらキリがないということも解っている せ

          向かい側の電車は水彩画

          絵画の1部のような気がする 自分が乗っている電車の向かい側の電車は太陽の光を浴びて、輝いて見える まるで、水彩画のようだ 乗ってきた人たちがいい被写体となる 高校生、サラリーマン、学生、女性、男性… どんな物語を歩んでいるのだろう どんな声で話すのだろう どんな表情があるのだろう 匿名の人の物語がそこにはある 綺麗な綺麗な水彩画のようだ ※tonsoku1010さんから写真お借りしました ありがとうございます

          向かい側の電車は水彩画

          「言葉選び」が素敵な人

          言葉選びが上手い人、そんな人になりたい。 他人を傷つけることなく、寧ろ「ああ、この人すごいな。」と思われる人。 感謝や謝罪の言葉をうまく使えることもそれにあたるだろう。 例えばアルバイト中、上司の方が指導してくださった時、 「すみません、気をつけます。ありがとうございます。」 と言うことができるだけで、素晴らしいことだと 思うのだ。 指導してくださった時に、 「はい。」 と一言言うのとは雲泥の差があると思う。 そうやって、他人に気を使える人になりたいのだ。 ※写真は、

          「言葉選び」が素敵な人

          見えなくて、儚いもの

          見えなくて、儚くて、触れるとすぐ消えちゃいそう 満たされてもすぐ崩れちゃいそう 見えないからこそ不安で、見えないからこそ美しい いや、見えないからこそ美しいのだと思いたい 「自分の心じゃないのに、形がみえないのに、どうやって信じればいいの。」 私の心がこの言葉で埋め尽くされる 苦しいのだ 貴方でさえ、容易に信じられない 私が面倒臭い人間なのだろうか 「大好きだよ。」 いつも真っ直ぐな瞳で伝えてくれる君 そこにずっとあったのに、なんで弱気になってしまった のだろう なん

          見えなくて、儚いもの