見出し画像

『花束みたいな恋をした』


映画館で観た時、胸の辺りがキュッと苦しくなった。似た者同士だと思っていた2人がどんどんすれ違い、仕事と生活そして追い求めていた終着点が違った時、恋は呆気なくもあたたかな終わりを迎える。
生活、というものは本当に平坦に見えてしまい、いつもと変わらない普遍性を感じてしまう。ところが一旦別れを決めたことで、過去を顧みてしまうと、あの頃は良かったな、あの時何かがひとつでも違っていたら2人で一緒にいられたのかな、とか。そんな風に考えてしまう。相手が悪人だろうと善人であろうと、恋をしている最中の楽しかったことはある程度記憶の中に留まり続ける。そんなことを、この映画を観て再確認してしまった。
好きな音楽、文学、文化、服装。似通っているものが、共通点が幾つも重なって、始まった麦くんと絹ちゃんの恋路。大学生活と大学卒業後の序盤までは順調に進んでいっていた2人は、次第にすれ違っていく。絹ちゃんが付き合った日に、触れ合うことは好きだと言っていた。けれども終盤に近づくにつれ、そういった恋愛に於けるコミュニケーションもまともに取らなくなっていった。
恋愛の始まりは、終わりの始まり。絹ちゃんが読んでいたブログの記事。それらを語り、海を眺める儚さを漂わせていた彼女の姿が、不安を掻き立てる。
パーティーが終わった2人はなんとも清々しい顔をしていた。それぞれの生活が確立するまでは、それまでの日常を維持し、拾った猫は元彼となった麦くんが引き取った。
恋の終わりを見た。絹ちゃん。恋の終わりを観た私達。何度観てもせつなくなるこの気持ちは恋愛が孕む最大の悲しみのように思う。色を失い枯れる花、互いの好きを持ち寄って催されるパーティー、刹那的なその瞬間をシャッターをきっては思い出をかたちに残していく。恋の始まりが終わりの始まりなのであれば、恋の終わりは愛の始まりとなるように。小さなかけ違い、価値観のずれを、話し合って感情を一定に保ちながら、相手を思いやることを忘れずにいたい。
三が日、この映画を絶対に観なければならないと感じていた。一体何の使命感だったのかは分からない。だが、私は、この作品を観終わったあと強く思ったことがある。

好きな人を大切にしよう。

2人で花束ではなく、花瓶に花を生ける日々でありたい。そこには笑顔で話し合う、絹ちゃんと麦くんが、いたかもしれないから。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?