テレビ番組の裏側を垣間見ておもうこと
会社に勤めていた時、社員食堂で派遣さんと食事を共にすることがあった。会話の中、その方は、こんな体験談を話してくれた。
テレビの討論番組が参加者を募っていた。討論のテーマが自分の問題意識と符合したので応募したら、抽選を通過し見事に当選。番組の中でどのような発言をしようかと考えを日々練っていた。
そして迎えた収録の当日。なんと台本を手渡された。
賛成派と反対派に分かれて議論する番組であったが、参加者全員のセリフは既に用意されていたとは、思いもよらない事だったと。
聞いたテーマや内容は忘れてしまったが、台本における議論の結論は、
「どちらの意見にも一理ある」であったという。その方は、自分なりの見立てを告げた。
「当時、議論のテーマは賛成に転んでも反対に転んでも視聴者の感情を刺激する可能性があったとおもいます。だからそれに配慮したのでしょう。テレビ局は抗議の電話を受けるのは嫌だし。」
テレビ番組は、視聴者に分かりやすく情報を伝えるため、あるいは面白い内容にするために演出されているのは了解していた。一般人を集めた討論番組は、演出があったとしても、冗長性を廃し番組の時間枠に収めるため、不要と判断された場面がカットされるくらいだろうと信じていた。
話を聞いて、ありのままに記録されたドキュメンタリー番組は、
はたして存在するのだろうかという疑問が頭をよぎった。同時に、テレビ番組には演出がつきものと知りつつも、自分の思い込みによって演出を見抜けないことがあることに衝撃を受けた。
私たちのほとんどは現場を見ることなく、テレビの伝えるイメージを現実として捉えている。先の話を引き合いに出すと、作られた討論の成り行きはイメージ。それは現実ではない。現実ではないものを現実と錯覚してしまうと、事実から論を組み立てられない。結果として、見当違いしてしまうことになる。
イメージであると認識できるようになるには、やはり視野を広げることは欠かせない。様々な事例に学ぶとか、興味が無いものにも目を向ける努力をするとか。しかし、そうしたとしても、そこから抜け落ちるものがあると心に留めておくことがより大切ではなかろうか。いまでは、そうおもっている。
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