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公文は裏切らない&公文に戻ろう

2023/07教室だより

春に実施した標準学力テスト、学校のカリキュラムの内容の総合テストの結果を今お渡ししている最中です。
公文のカリキュラムは、学校で習う内容とは必ずしもリンクしておらず、学校で習う内容をみっちり教えたりはしない『公文式』なのです。
だから、なぜ?という疑問が当然出てきます。

それが事実ならば、子ども自身が賢くなっているから、という解しか出て来ませんよね。
過去記事にも書かせていただきました↓

要は公文の進度を進めたら、学校の成績も上がる、それは子どもが賢くなっているから、という考え方です。

公文のカリキュラムに子どもを賢くするような仕掛けがあるのでしょうか?

カリキュラムというより、
子ども自身が、自分で乗り越えるレベルのちょっと難しい内容、かっこよく言うとスモールステップを自分で乗り越えるから、
『自学自習』と言われる仕掛けがあるから、
そして、そのサイクルができるだけ短期間で訪れるから、
毎日寝ては新しいことを覚える子どもという特殊な状況で、この素敵なサイクルが回る、

公文は裏切らないというのは、
ちゃんと自分の力で進度を進めていった子はですね、
着実に賢くなっていっている、ということなんです。

毎日毎日頑張ってきたことが、成果になって現れるから、
絶対裏切らない、
これが公文式です。

もし、裏切られるようなことがあったならば、
それは、取り組み方になにか問題があるということ。

このサイクルを勝手に子どもが回せるほど、甘くはありません。
ご家庭でのかかわり、教室でのかかわり、子どもを取り巻く環境全て、子どもが自分で歩けるように、という方向性が同じでないと、子ども自身は思った方向には行ってくれません。

そのくらい、環境は大事です。

習慣とは環境です。

公文に戻ろう

何か事情があって、公文から一旦、離れたとしても、
絶対に戻ってほしいということなんです。

公文というのは習慣であり、戻るべきところです。

ただの勉強でしょ?と思っている人はまだ公文を分かっていません。

公文の素晴らしいところは、
最終教材まで、研究コースまで続くほぼエンドレスな学習内容。
終わりがほぼ無いと凡人は思ってしまう先の先まで有る内容。
これは実は、学問の本質ですよね。

受験に合格したらいいとか、テストで良い点が取れたらいいとか、そういう安直な目的ではないんです。

受験に合格したら、勉強を止めてしまうのが良いわけでは無く、ずっと続くのです。学びは。

だから、簡単に公文を毎日やらないといけない大変なこと、というレッテルを貼って、諦めないでほしい。

毎日、学び続けること、それ自体がすごく価値があること。
そう思って、何か途中で中断せざるを得ないことがあっても、絶対に戻ってきてほしい、公文は戻るべきところです。

昨年も、今年も中学受験を終了した子も数名、教室に戻ってきてくださいました。
私立中学に通っても公文を習い続ける価値があると思ってくださっているご家庭が増えて来ています。
塾では無いんですよね。もう勉強漬けにするのとも違う、青春を過ごしてほしい、だからこそ、公文を軸にしたいと思っていらっしゃる家庭が、逆に増えて来ています。

受験していない子も、今歩いている道を疑うようなことがあれば、公文に戻ったら良いのです。
そのくらい、公文のシステムというのは、学ぶことに軸足を置く生き方を体現しています。

賢くなる教材

たし算教材について

最近、運命的な出会いがありました。
ご入会されることになった年長さんのお母さまから、
『うちの子は(別の学習塾で)たし算を覚えなさい、って、言われるようになってから、算数を嫌がるようになりました』、『公文の教材は数の感覚を育てながら、たし算もできるようにするという教材ですよね?』とご質問いただきまして、

ずっと、私自身もやもやとしていたことが、この時から、すっと晴れて信念が沸きあがってきたというか、確信に変わりました。

たし算は結果的に、当然、覚えてほしいとは思っています。
ただ、覚えなさいと言う指導はどうなのかな?とずっと思って来ていて、子どもって覚えようと思って覚えられるのかどうかというのも、疑問に思っていました。
気付いたら覚えていたというものではないですか?
親が一生懸命に覚えさせようと思って努力することを求めるのでしょうか?というのも、ずいぶん気になっていたことなんですね。

そして、子ども自身も、周りの大人が怖い顔して(してないかもしれないけど)『覚えなさい』というのって、子どもは正直どうしたらいいの?という気持ちになりませんか。
だから、ずっと、たし算は覚えさせればいいのよという考えを、どこか疑問に思って来ていました。・・・反省ですが、私自身もそうお伝えしたこともあります。

公文の教材は優れていて、たし算を覚えていなくても、解けるように、出来ています。
ただ、あまりにも、後ろ向きな気持ちで臨むと、辛いだけの苦行になるという、しかもたし算を覚えていなければ、覚えるまで、延々とたし算の教材が繰り返されるんです。どうやったら、前向きな気持ちでたし算教材に臨めるのでしょうね。そこを考えるのが教室の先生だと思っています。
ただ、浅くて、ルーチンのような感じでプリントを解くのではなく、目と耳の情報を両方入れて、子どもの意識や記憶にもしっかり影響するように解く、それを導くのが先生だと思っています。

そういうことを考えながらではあったのですが、どこかで自信が無く、ずっとモヤモヤとしていました。
でも、やっぱりそうだよねと自信をくださった、このお母さまとの対話、このタイミングで、偶然とは思えず、今でも感動が続いております。こういう気付きをくださって、本当に感謝しております。

そう、ただ無理くり覚えさせたとしてもです。
ただ覚えて教室に来た子が必ずしも、順調に進むかというとそうでは無くて、案外たし算をなかなか覚えてくれなくて苦戦した子があとから、抜いていくというような事象は結構起こるのです。
要は、公文のたし算教材で学ばせたいのは、たし算を覚えるだけでは無いということなんですよね。
覚える過程で、頭が賢くなっているということ。
そこを無視すると、後から苦労しますよと。
先を急ぐことなかれ、と、先を急ぎ過ぎるあまり、子ども自身が賢くなるようなステップを先延ばしにしてしまうのですよね。
それが良いのかというと、あまり良いとは言えません、
内容が高度化してしまうのです。
学ぶ子どもも、教える周りの大人も、内容が複雑になればなるほど、教えにくく、シンプルには学びにくくなります。
だからこそ、下の教材ほど復習(繰り返し)は多く、上の教材に上がれば上がるほど、復習は少なく、というのが鉄則です。

上に上がると復習が増えたという子は、下の教材で自立度を高められていたかというのが反省ポイントになります。
それと、他に反省ポイントがあるとすれば、学習習慣が崩れていないかということですね。

公文で鍛えることは体幹を鍛えるようなこと

個人的な話で申し訳ないのですが、
私は数年、テニスを趣味で習っております。
なかなか痩せませんが、ダイエットを兼ねて。
最近、とても上手な68歳のおじいちゃんと同じクラスになりまして、
すごく上手なので、やっぱり長年テニスをされてきたのかなと思い、質問してみましたら、
テニス歴は驚愕でした。2年ほどとのこと、
学生時代も含め、ほとんど運動系の経験はないそう。
足も速く、色々疑問に思い、陸上の選手でしたか?今でもフルマラソンとか走っていたりするのでは?と、さまざま質問攻めをしてみましたが、どれもしていないそう。
そのおじいちゃん、なぜか、ずっとしつこく聞く私に最後にヒントをくれました。
言えることが一つあるとすれば、海でしょっちゅう日焼けしてるんだよね~と。
『え?サーフィン』

そのおじいちゃんは、長年、サーファーなんだそう。

どうして、サーファーが2年でテニスが上手になるのかしら、と考えました。もともと運動神経が良かったということは置いておいて、体幹が整っていることが影響しているのではないかと。

ずっと、『くもん』って何?と指導者ながら思っていましたから、公文は、このおじいちゃんのサーフィンで体幹を鍛えているということと同じような感じなのだろうな、と、すごく腑に落ちました。

公文の強みを議論することも、ばかばかしい位、その子を賢くするというのは、そういうことか、ともっと深いところで理解できたような気がしました。
その子自身のレベルが上がれば、学校で同じ授業を聞いていても、同じワークをしていても、効果が同じでは無いということですよね。
だから、まず公文で鍛えるということが大事。特に幼児さんからが最も効果的です。
それは、教室の多くの幼児さんが、小学生になり、証明してくださっています。ほとんどの子が標準学力テストで5を取ってきます。(たまに4)
大して公文以外の勉強には時間を割いていないのにです。
幼児さんの成長スピードはめざましく、そこに公文を乗せるというのが最も効果的なのです。

今こそ、信念を持って、ようやく言える気がします。

公文は裏切りません、
そして、公文に戻りましょう。
それが、本質的に子どもを賢くするための秘訣です。

今は、忙しくてそれどころじゃないとしても、1枚でもいいので、毎日必ず離れないように、という気持ちこそが大事です。
1日離れても、2日続けて離れないようにしましょう。
2日続けて離れると、心も離れてしまいます。

効果があるのは、記録や、みんなの目に見えるようにすること、話題にすることです。
教室には、その環境があります。
宿題の量が少なかった時の先生たちのツッコミ、どうやって次は頑張って来てくれるかなという声掛け、教室では良くできたらすごく褒めてもらえる、その環境が大事です。
そして、同じ意識を持てばお家でも同じことが可能です。
ぜひ、子どもを賢く育てたいのであれば、家庭環境も大事なポイント、一緒に考えていきましょう。それは親の意識でどうにでも変わります。

親の意識

何かの待ち時間に何をさせますか?
病院や買い物等、子どもに静かに待っていて欲しいという場面で、お子さんとどう過ごしますか?

最近は、スマホで動画を見せる、ゲームをさせるというのは、よく見られる光景です。
これを見て静かにしていて、気持ちは分かります。
子どもは、魔法を掛けたように静かになる。

ただ、子どもを育てるという意味では、そういう場面で、機械に任せるという教育法はどうなのでしょう?
本やアナログな関わり方、それは大人が関わる必要性があり、面倒かとは思うのですが、機械に子守をさせるようなことはやめましょう。
これは完全に親の意識です。

大人と関わることで、言語化の能力や、対人能力は育つのです。
育てるためのキッカケでもあるのに、それを利用せず、機械に任せる。

絶対に見せるなという意味ではなく、子どもを人間らしく育てるには、なるべく人が関わることなのです。
今はどこにいるのか、なんで静かにしないといけないのか、それを含めて子育てではありませんか。
すぐに飽きる子だとしても、それも含めて、周りの大人がどう関わってくれたかという思い出の積み重ねで、子どもは次のふるまいを選び取る、子どもは機械ではありません。ちゃんと自分で学んでいるのです。
いつも、子どもが学び取れるように、学びが多くなるように、心を砕くのが大人の責任。

どういう子になってほしいのか、どう育ってほしいのか、思い描きながら子どもとの接し方を考える。

そういうかかわりをしてもらい育っている子は、心の整理がしやすく、パニックになりにくい傾向があります。
学ぶことが大事ということを受け止められる子はそうやって育ててもらっている子。
だから、賢く育てないならば、毎日の生活のなかで、ちゃんと学びを与えてくださいね。
大人の都合でその場限りの対処法にならないように。
公文の足し算教材のように自分で考えさせながら、世の中のルールを学んでいく。遠回りに見えて色々なことに応用が利く力がつくはずです。

子どもに大事な環境を与えてあげましょう。

東郷



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