『貢献』

コロナ禍というものがあってからというもの、自分に全くない概念が心のうちに生じました。

きれいごとでも何でもない、『貢献』という気持ちです。

『貢献』というと、イメージ的には、ボランティア活動というか、見返りが無いことを人のために!という慈善的なイメージが付きまとうのです。私は、若いころから、慈善を偽善と捉えている感があって、心が荒んでいたのでしょうか?

コロナ禍、自分の心の奥底から生じた純粋な感情だったのですよね。『貢献』という言葉に急に惹かれるようになりました。

なんとなく世界はいつも同じと思う気持ちをずっと持っていたのですが、イヤ、そうじゃないと思い始めました。

10年以上前の話です。コンサル会社に転職し、最初の仕事。中国の広州に一人で行き、クライアントである日本の法人が持っている中国の工場の納期短縮化をアドバイスする、という仕事でした。
30歳ごろでしょうか・・・。
今でこそ、面白そうな仕事じゃん??と思いますが、その当時は、生身のビジネスへの感触もなく、その時はその時で一生懸命に頑張りましたが、きっとクライアントから見ると、子供じみた提案だったのではないでしょうか。

それまで、中国への訪問は1,2回位。

主人が中国に何度も出張しており、一度家族として招待されたのですが、その時、観光ついでにローカルのお店に行き、卵料理を食べたあと、驚くほどの腹痛、下痢、発熱を起こしたことがあり、衛生面では特に気を付けなければならないという経験をしたことがありました。

電柱の油(?)を使って料理をしているという噂を身をもって経験してみたわけです。

中国語については、大学の第2外国語で何故か良くできた経験がありましたので、文字で見ると何となくわかるのですが、もちろん会話はできません。

ですから、片言の英語で、管理職の方と会議をしました。
今思うと、子どものお遊びに付き合ってもらっていた位の、多分相手の会社の方からは面白いやつが来た、位の感覚だったのかな、と思います。

工場には食堂があり、とても安く、ローカル感があふれ、お腹を壊すこともなかったのですが、どうしても同じものをいただくことに抵抗がありました。

一般企業にとっては、中国を生産拠点にすること、ビジネスをすることが当たり前であり、それほど危機感もなく、近隣の友好国で、物価が安い国、ちょっと文化が違い、衛生面では・・・というような感覚だったのではないでしょうか。

当時の私は、中国に行くと、『生きている』実感を得ていました。
日本では感じられない、躍動感とか、感情とか、粗削りだからこそ感じる危険性も含めて、私は『生きているんだ!』と実感することが多かったです。
もちろん、韓国でも、台湾でも日本に住んでいるより、ずっと『生きている』感じはあります。慣れ親しんだ安全安心な日本だからこそ、『生きている』感じは薄れるのかもしれませんね。

ずっとその環境にいると感じられないものなのかもしれませんが、『生きている』という実感、いつ死ぬか分からないという恐怖、それはコロナ禍で感じたことですが、生きている実感を大切にすることは大事です。

教室には、地域性もあり、中国をルーツにしたお子さんがたくさん来られています。私はこのような環境に感謝しています。この子たちを伸ばすことで、将来国同士の関係が良くなってほしいと願いますし、私自身のこのような経験から、逆に日本人はぬるま湯に浸かっているのではないか、とまで思います。

中国人の保護者は熱心です、子どもがやりたがらないから、無理強いしないなど、弱気なことは言いません。
そして、日本は超高齢化社会、若手の働き手が居ないので、これから、多民族国家への道をたどります。日本人だから努力をせずとも・・・と思っていたら、大間違いです。

もっと広い視野で、今の日本という国を見て、世界でどのように活躍すべきなのか?日本という国をどう守っていくべきなのか?日本というぬるま湯に浸からず、生き生きと人生を全うしたい。

なぜ、私は、生かされているのか、なぜ、この仕事で成功したのか、人生の意味を考えたい、そう思ったのですよね。

そう考えると、自分がやるべきこと、できることは臆せずにやろうと思いました。それまで、どこかで蓋をしていた感情です。

人間、いつ死ぬか分かりません。そして、どう生きようと自分次第です。だったら、何か意味のあることを成し遂げたい。それが何か、もうヒントはもらっていることが、私にはとても大切なことのように思いました。毎日、ご家庭と繋がり、子どもの様子を見て、何かあれば、すぐに連絡し、そういう些細なことですが、自分にできることを大事にしたいと思うようになりました。
公文式を後世に残したい、そう思いました。この素晴らしき学習法を、大変な時こそ、頑張っている大人の姿を子どもたちに見せたいと思いました。

コロナの休校中に私が、スタッフが、どんな思いで毎日過ごしたか。教室が残るかどうか、そして、公文式も、後世に残したい、そう思いました。濡れ手に粟で利益を得ているような意識で働いていては、絶対に生き残れない、そういう大事なことをコロナが教えてくれたと思っています。東郷

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