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2021.4.11 sun 生クリーム天国という名の地獄

今年のわたしは去年の自分と違う。「ポンコツ1号」と名付けたくなるような未知の身体に鞭打って生きている。代替機はないので仕方ない。

あれですな、更年期。思えばかれこれ思春期から自らのホルモンの波に翻弄され続けてきたわけだが、ここにきて最後の荒波に揉まれている。

こればかりは個人差が激しく、あなたとわたしの辛さを比べることはできない。現れるマイナートラブルも多種多様。女性ばかりでなく男性にも現れるという。「しんどい」と言えない働き盛りの苦しみよ。お疲れ様です。

毎年春はそもそも調子が悪い。木の芽時はほんとうにしんどい。
3月、さようなら、お元気でと涙したのに、4月、もうそんなに笑顔ですっかり馴染んじゃってみたいなのについていけない。ローな気分で新年度の世の中を恨めしく呪いながら梅雨明けごろやっと心に健康が戻る感じ。
この不調が秋でなくてよかったと思う。枯れ果てていく季節だったらもうこの世にいなかったかもしれない。命がどーんと、ばばーんと萌えてキラキラまぶしくて花が咲いて小鳥が巣立って、みたいな季節だからちょっと救われているところがある気がする。

桜がやけに早く咲いた頃から、もうだるくて眠くてしんどくて、隙あらば横になっていたかった。なんにもしたくない。そのだるさが解消せぬまま重く積もっていき、ちょっとずつ正しい思考を蝕んでいった。

折しもイチゴが出盛りで、ピカピカ甘そうなのがひとパック300円台になってきた。
これはもう、「生クリーム天国」発動ではないだろうか。

これを知ったのは12年前の今頃だ。
父が亡くなり四十九日を済ませたころ、心身のバランスを崩し、運転していた車を初めてコインパーキングの柱にぶつけた。なにもかもふわふわと実感がなく、ただ涙が出た。
ああ、生クリーム食べたいな、乳脂肪のべらぼうに高いやつ、砂糖も白いのをたっぷり入れてボール一杯ホイップした。食パンに、それを泡立て器で直接ぼふっとのるだけ載せて、赤いイチゴをこぼれるほどさした。
鼻まで生クリームまみれになりながら貪り食った。
美味しい、というより、なぐさめ、だった。多幸感があった。
それを「生クリーム天国」と名付けた。

乳脂肪分がべらぼうに高いクリームは、泡立てるのになかなか時間がかかる。うまいけど。
今ははっきり言ってホイップする気力すらなかった。
しかし悪いことに近所のスーパーには泡だて済みの「デザートホイップ」なるものが売られている。植物性油脂のかたまり、わるい食べ物だ、しかしとうとうこれに手を出した。
2つのメーカーから出ていたので両方買う。今時のホイップは大変甘さ控えめで人工感も少なく案外うまい。絞り袋の形状がこっちのメーカーの方がいいななどと思いながら食パンに絞る。絞る。ホイップの花が満開だ。
ホイップの花畑にダイブする。ああ 天国だ。

そして片手にはケータイ。Twitter、インスタ、Facebook、タイムラインを意味もなくずーっとスクロールする。ずーっとスクロール。読み飛ばしながらいろんな人の声が自動的に脳に飛び込んでくる。アホな政治、やりきれない差別、軽んじられる命、ネコチャン、絶滅危惧種の沼、オリンピック、ラーメン、ワクチン、ネコチャン・・・

やめたほうがいい。ずっと同じ姿勢で、目を酷使して、血の巡りは最悪で、今すぐやめて目を休めるべきだ、わかってる。
白い砂糖たっぷりの植物性油脂の食品は血糖値を跳ね上げその後枯渇し血管を痛め飢餓感で神経を病ませる。わかっている。

しんどければしんどいほど、そうした方がいいと、わかっているのに
頭ではわかっていることが、できない。

雲間では月に一度ケアラーサロンを開いている。
介護や療育など、ケアをする人のことをケアラーという。
自分がケアラーだという自覚はなくても、誰かのことで困難を抱えている人はケアラーだと思う。
そういう方々が相談員さんとお茶を飲みながら話しているのを聞くともなく聞いていると、それはもうここで呑気にお茶なんか飲んでる場合じゃなくて、すぐに公的機関の援助に繋がるべきではないかと思うことがある。
だけど、ご本人は、そんなことくらいで人様に迷惑をかけるほどでもない、と思っている。自分よりもっと大変な人がいるのに、と。
困難さやしんどさは、人と比べるものではない。

緊急事態宣言やら最近ではマンボウとやらで、飲食店をはじめ小さい経営体が絞め殺されつつある。
ニュースで見たとあるバーのマスターは、資金繰が悪化し、カードローンで300万の借金、とうとう店を手放したという。
今、いろんな機関で無利子無担保みたいな緊急援助資金があるのに、どうしてカードローンに手を出したのか。どうして知らなかったのか。バカだからだろうか。

ちょっとずつ解決しないで、ちょっとずつうまくいかなくなって、ちょっとずつ苦しくなっていったとき、どんなにいい人で賢い人でももう、正常な判断力が失われるんだと思う。この苦しさがいっとき楽になれば、もうそれしか見えないし考えられなくなる。

周りの親切な人は、どうしてこうしないのか、こうした方がいいのにとアドバイスする。しかし泥沼に鼻まで浸かってる人に「沼から脱出する正しい方法」を説いて聞かせても届かない。脱出するより先に息ができなくて死んじゃうんだから。

生クリーム天国ぐらいでなぐさめられる困難ならちょろいもんだ。

とにかく、暮らす義務をこなす。体を引きずるように起こして、やることをやる。

困難や苦しみにも波がある。寄せてくる時があれば引いていくときもある。

淡々と暮らしを遂行していると、そういう引いているタイミングで自分を楽にするきっかけを拾うことがある。人生のビーチコーミング。下ばかり見て歩かないと気がつかない貝殻みたいなもの。

最近拾った貝殻は、先日のケアラーサロンで作ったアロマ化粧水だった。
砂川先生が作った「ハンガリアンウォーター」に、よもぎ蒸留水とクロモジ精油、ローズウォーターとサンダルウッド精油を加えて、保湿のためのグリセリンとキサンタンガムを混ぜてラベルを貼って完成。
作っている時からいい香りだったけど、風呂上りに使ってげげーんとなった。たぶん言葉とかの届かない脳の深いところにダイレクトに届いて抱きしめられるような心地よさだったのだ。

もう絶対ハンガリアンウォーターを自作しようと決心し、ネットショップを徘徊し始めた。心が動き、正気に戻った。

困難のすべてがこんなアホみたいに平和に解決するわけではないのはわかっている。でも、一生懸命な正義より、なんかこう、無駄なものや、やわらかいものに、ちょっと救われるんじゃないかと思う。
溺れたら力をぬいて仰向けに浮け、って言うしね。

ぽかーんと波に浮かびながら、それでもなんとか生きましょう。


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