見出し画像

2020.10.30.FRI. もういいよ、と言おう

やっと本棚の整理が終わった。かさぶたを剥がすような作業だった。

本だけならまだしも、入居以来20年、捨てそびれた仕事の資料・ノート・スクラップ・・・開いては目を通し、成仏させてゴミ袋に入れる作業が延々続いた。

入社したての頃の仕事ノート、まぁ初々しいこと。
「電話をとったら社内の人の名前は呼び捨てにすること」
知らないことを覚えなくっちゃと必死だったのだろう。

数年して、ノートは「誰かのいい言葉集」になっていく。
本を読んだり誰かと話したりして、はっと思ったことを書きとめている。
すごいな、いいな、
そういう人になりたいと思ったのだろうか。

やがて、自分のだめなところ、足りないところばかり見つめては
もっとこうしなくては
もっとこうならなくては
もっと勉強しなくては
だめだ、たりない、どうして、なぜ、どうせ
やり場のない思いばかりが綴られていた。

読み返して思い出し、つらくて吐きそうになった。
今後このノートは読み返すことももうないだろうから処分した。体に悪い。

そのころ一緒に働いていた同僚のおいさんが、先日亡くなった。

おいさんと仕事してた日々を思い出した。
そしたら、それなりに楽しかった日々が思い出された。
アホみたいにアホだった、若かりし頃の自分。

自分ではぜんぜんだめだと思い続けていたそのころの自分だが
こうして年月を経て眺めるに、まあ、ようやっとったのではないか。

なんとなく、そう思えた。

今朝のテレビに朝ドラ「エール」佐藤久志役の山崎育三郎が出ていた。
キラキラのスターキャラそのままのような彼は、歌うことが好きで好きで大好きなんだというのが端々から溢れ出るようだった。
「帝国劇場に行っては、いつかあの場所で主役を、と思ってはレッスンに」
憧れの場所、夢の場所、あそこなんだ、きっと手が届くんだ
そのために歌う、もっと上手くなる、もっと豊かに、もっと・・・

なんて健やかなんだ。
夢を見るってこういうことなのか。

若い頃からひねくれてて、「すっぱいぶどう」の狐みたいに、どうせそんなの美味しくないよと自分に言い聞かせてきたんだな。
手を伸ばしても届かないのを認めるのが怖かったのか
届かせる努力をあきらめたのか
今となってはもうしかたないけど
夢をちゃんと見ることもせずにここまで生きてしまったんだなぁ。

と、夢見ない自分をまたこうやって責めている。

もう、いいんじゃないかなぁ。

生きているということだけで、もう、いいんではないか。

自分をもう、許してあげよう。

自分を許すってどうやるのかな。
まずは、自分ってこうなんだ、まあしかたないねって認めることなのかな。
許し方もわからないけど、
まあ、もう、いいことにしよう。

りっぱりっぱ。生きててえらい。
ごはんちゃんと作ってえらい。今朝もお弁当作ってえらかった。
店のシャッター定時に開けてえらい。ちゃんと湯沸かせてえらい。
お客さんにちゃんと笑顔でいらっしゃいって言えてえらい。
客が誰も来なくてもグレないでえらい。

こんなんでいいのでしょうか。なんか違う気がするが、
まあでも、せめて自分は、自分の味方でいないといけないのだ。

わたしはできる。なんだってできる。おおすごい。
ここからなんだったらミュージカルスターにだってなれるかもしれない。
羽ばたく蝶になるかもしれない。
ああ生きてるってすばらしい。
そう、生きてるって、ほんとうにいい。
死んだらだめだ。

死んでるように生きててもだめだ。

いきいき生きよう。今日も、明日も。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?