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あをによし 古道と古墳と 雲ざんまい【山辺の道】 〈その二〉 奈良歩き
三輪さん〜檜原神社までの〈その一〉の続きです。
桧原神社を過ぎると山道から離れ、舗装された道が多くなり
古道っぽさは薄れるかな。
山辺の道は標識や地図が要所要所に設置されていて、
とてもわかりやすいです。
地図がなくても迷うことはまずありません。
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三輪さんあたりでは曇り空でしたが、巻向川に沿った道に出ると
何やら夏空に!
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奈良を歩いていると、山の中でない限り日陰が少ない!
なのでいつの間にかに、腕など真っ黒に日焼けします。
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少し坂を上がるだけで、眼下に大和盆地が見渡せます。
その中でも、山辺の道でワタシが大好きなエリアがいくつかありますが、
その一つが穴師(あなし)。
巻向山麓のなだらかな坂の途中に果実畑が広がります。
式内社穴師坐兵主(いますひょうず)神社や相撲神社につづく途中に
休み処的なお店があります。いつも気にはなっていたのですが、
いつも休憩のタイミングではなかったりでスルーしていました。
今回はなんだか寄ってみた方がいい!という指令が(笑)
大正解!
ワタシがおじゃました時は誰もお客さんはいず、
西向き全開窓の席に陣取り、そうそうこの景色がいいのよ〜と
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何時間でも過ごせそうな。。。
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大和橘(絶滅しかけた種を復活させ)を栽培されている農家さん経営。
この『大和橘』に関しては、一度ちゃんと調べて記事にしたいと思います。
そんな果実農家さんが乾燥用に使っていた建物をカフェに。
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いつまでもぼーっとしていられそうな、心地よい空間でした。
ひとつウルサイことを言えば。。。
ビールに合うアテのメニューがあれば最高なんだけどなぁ。。。
そんなことを考えがら?!
坂道を振り返ると
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この辺りはとても明るい道です。
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何度歩いても飽きない風景、季節ごとの景色の変化が楽しめます。
山辺の道沿いは、果物畑が多いです。
柑橘系のもの、奈良名物の柿の木などいろいろ。
無人販売所などで新鮮な野菜、果物が入手できるのも楽しみの一つ。
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そんな果物畑や田んぼを眺めながら、出てくる小山。
『景行天皇陵』渋谷向山古墳とも呼ばれているそうです。
全長300mと大きな古墳です。
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そして次に現れるのが『崇神天皇陵』
山辺の道からですと後円部が近いので、周濠沿いに前方部に周ります。
こちらも大きいです!
周濠も大きく、水面に映る墳墓が美しい。
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とても美しい古墳です。
奈良には本当に大きな古墳がたくさんあり、周濠がなければ普通に小山?!
逆に、ちょっとこんもりした丸みのある森は古墳?!
というほどあちらこちらに。
この崇神天皇陵で今回の山辺の道は終了。
南ルートの三分の一ほどしか歩いていませんが、このぐらいの距離をじっくりのんびり歩くのが、ワタシの山辺の道の歩き方。
崇神天皇陵から近いJRの柳本駅から電車で帰ります。
そうそう、その駅までの道にありますのが
『黒塚古墳』
三角縁神獣鏡が大量に出土したことで有名な古墳。
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誰のお墓なのでしょう?
![](https://assets.st-note.com/img/1688123178091-GNQVx04rNA.jpg?width=800)
こちらもきれいに整備され、しかもかなり近くに見ることができます。
というより古墳を歩けます。
黒塚古墳から駅はすぐ。
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いつもはトレイルセンターを終点にしているので、
そこで食事やお茶をして帰ってきます。
今回は寄らずに駅へ直行。
駅で時刻表を見たら。。。
次は40分以上待ち。
そう、このJR線はとにかく本数が少ない!
ここは奈良時間を。。のんびりゆっくり
ならば駅舎内にある『ピクトン』で休憩!
こちらはトレイルセンター内の『洋食Katsui』の姉妹店。
とても雰囲気よし!のお店。
電車の時間まで、ゆっくり吹き出す汗を落ち着かせました💦
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ということで、今回の桜井から柳本までの山辺の道歩きでした。
桜井からも、金屋のルートもぜひご紹介、記録したいですし、
今回寄らなかった見所もまだまだあるので、いつかまた。
まずは次回はこの続きから天理までを歩きます。
他の歩きたい古道もたくさんあるのですが、つい足が向いてしまう
『山辺の道』。
それにしても ”いい雲三昧” で幸せ!
『山辺の道』とは
『古事記』・『日本書紀』に「山の辺の道」と記される古い道です。
本来は、桜井と奈良を結ぶ盆地東辺の道として、縄文時代や弥生時代から利用されていた道が、桜井市の纒向に誕生した大和王権によって道としての重要性が増し、「山の辺の道」と呼ばれるようになったものと思われます。
『古事記』に、崇神天皇陵(別名、山辺道勾岡上陵)の所在地を示す文章として「御陵は山辺の道のまがりの岡の上にあり」とあり、山の辺の道の名が見えます。また、「景行記」でも景行天皇陵(別名、山辺道上陵)の所在地を「御陵は山辺の道上にあり」と書かれており、ここでも山の辺の道の名を見ることができます。
二つの文章からは、両陵墓のあたりを山の辺の道が通っていたことと、この頃すでに「山の辺の道」と呼ばれる道があったことが判ります。
さらに、『日本書紀』の影媛の歌には、石上から奈良までの道順として、布留・高橋・大宅・春日・佐保の地名が記されています。石上神宮から南は、乙木・竹之内・萱生・中山の集落を過ぎ、柳本の上長岡、桜井市の穴師、車谷付近を経て大神神社へ至り、磐余へと続いていたものと思われます。
石上神宮に大和王権の武器庫が置かれてから後、山の辺の道はさらに重要な道となったことでしょう。
いただいたサポートは古道活動に使わせていただき、歩いた記録をお伝えしたいと思っております。よろしければよろしくお願いいたします。