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恩人

会社を辞めて独立してから、なかなか仕事に恵まれませんでした。

それを救ってくれたのが、小菅のFさんと目黒のMさんでした。これまで生き延びてこれたのはFさんとMさんのおかげなのです。FさんもMさんも業界誌で働いていた時の取材先で、広告掲載や本を出版していただいたこともありました。業界誌といってもお客さんは大企業が多かったのですが、大企業は、雑誌という後ろ盾を失った僕なんか相手にしてくれません。しかし、FさんとMさんは、僕を気の毒に思って仕事を与えてくれたのです。

特にFさんは、サイトのPRを基本として、彼の元で配送や写真撮影にイラスト描きなど、いろいろと手を尽くして助けてくれました。しかし、僕は、常識を知らずでも仕事ができる業界誌(常識のある人も多いですよ。ごめんなさい)の世界で働いていましたので『人に使われる』という基本ができていません。ですから“嫌になったら辞めちゃう”ことが多いのです。Fさんには、そういう点で大変迷惑をおかけしたと反省しているのです。

感染症パンデミックの際にも、目黒のMさんとは、ZOOMと実際の訪問などでまめに交流できていましたが、Fさんの方は大企業なので(Mさんごめんなさい)、何かあっては申し訳ないと定期的に行き来できなくなっていました。

そのFさんが先日、私用のついでに僕の近所まで来てくれました。喜んで会いに行くと、Fさんの外見はさほど変わらないものの、少し足を引きずって表情も、やややつれた感じでした。

今の日本に疲弊しない人はいないでしょうね。

大きな喫茶店に入って互いの近況を話しているとFさんの表情が明るくなったのがわかりました。良かった。こんな僕でも役に立てることがあるんだとすこしだけ安心したのでした。

今の日本は、政府が意識的に感染症から脱却できないようにしているとしか思えないのですが、それでもウイルスが普遍化して弱毒化すれば、また当たり前に往来できるようになるでしょうね。来年はそういう年になってほしいと思っているのです。

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