見出し画像

農業業界誌記者の頃

昭和の終わりに農業の新聞社には約3年間勤めた。

農業の新聞といっても、最大の広告主である農協に寄生して生きているような業界誌だった。そんな媒体はいくつかあったが、働いていた会社はその中でも歴史がある古い新聞社だった。

入社すると、農業の新聞だから農水大臣の就任はもちろん、農業に強い政治家たちに「あらかじめ決まった質問項目に答えて貰う」というインタビューをさせられた。新人研修としてひとりきりで写真撮影とインタビューを行なうのだ。僕が取材した政治家は羽田孜さん(2017年没)、加藤紘一さん(2016年没)などだった。あとの政治家の名前は忘れてしまった。羽田さんは柔和で優しかったが、加藤さんはものすごく怖かった。

インタビューの日に加藤さんの事務所まで行くと、秘書が応接室に通してくれた。シーンと静まりかえった応接室でフィルムカメラの点検を行なってから質問項目のチェックをしながら緊張して待っていた。

するとドアが開いて加藤さんが入ってきた。「先生、本日は、お忙しいところに取材対応いただきありがとうございます」と頭を下げると突然「そんなこと聞いていないっ!」と大声で恫喝された。

「誰が何の取材を受けると言ったんだ!」と言うので恐怖に身を縮めながら「は、前もってうちの編集長から先生の秘書さんにお約束をいただいておりますが…」「そんなこと聞いていないっ!」と言って僕の顔を睨みつけてから応接室を出ていってしまった。

「どうしよう…」とオロオロしていると加藤さんが出てきて、目の前にドカッと座り「おお、約束していたみたいだな」とニコニコしている。「悪かったな」とも言わずにいきなり「じゃインタビューを始めろ」と言うので、「はあ」とモジモジしながら質問項目を読み始める。先ほどとは人が変ったように、質問ひとつひとつに丁寧に答えてくれる。僕は間違えないようにひとつひとつメモをとる。

しばらくして無事に取材が終わると、加藤さんは「あとはよろしく」と言って応接室から出ていった。

帰社してそのことを編集長に伝えると「そうかそうか、ご苦労だったね」と言って笑うだけだった。席に戻ると副編集長は「よくあることよ。気にしなさんな。さ、間違えないように記憶が新しいうちに記事をまとめたほうがいいよ」と言って笑った。

以上は、昭和62年頃のことだと記憶しているけれど、加藤さんはその後「加藤の乱」を機に政治家としての力を失っていく。2013年に娘を後継者として政界を引退したあと、2014年、太平洋戦争時のインパール作戦で亡くなった日本兵の慰霊のため、古賀誠(衆議院議員)と伴に訪れたミャンマーで倒れ、タイ王国の病院に入院。その後、帰国し、東京都内の病院で療養を続けていたが、2016年9月9日に、肺炎のため東京都内の病院で死去した。(Wikipediaを参照)

僕は何事も長続きしない性質だから、昭和64年(平成元年)に農業業界誌を辞めたが、政治家のことを少しだけ知ることができた良い経験になった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?