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生死生命論「余命」その1

突然、「あなたの余命は3ヶ月です」と言われたことがありますか?
僕はありません。しかし、この後(明日にでも)、そう言われる可能性はあります。そう言われたらどうしましょう? 黙して死を迎える勇気がありますか? 

僕はありません。覚悟なんてできません。きっとジタバタしながら、そのイライラを家族にぶつけるでしょうね。僕は飽きっぽいのですが、生きることに対しては飽きっぽくありません。何せ、もう65年も生きているのですからね。かなりの執着心があるかもしれませんよ。

余命宣告されたら、最期の時を迎えるまで、きっと「無名のまま本を1冊も出版せずに(何も作品はありませんが)個展も開催できずに死ぬのか? こんな狭苦しいガラクタだらけの部屋の中で死ぬのか?(妻に申し訳ないけれど)美人女優(たち)と浮気できずに死ぬのか? そういえば最近は好物のうな重を食べてなかったぞ。宝くじ1回くらい当ててくれてもよかったじゃないか。世界1周なんてしたくはないけれど、日本1周はしたかったぞ…」等々、夢のなかでも叶わない(夢は現実が反映されるのですよ)ことをウダウダ呟きながら酷く苦しみながら逝っちゃうのでしょうね。

まあ、それも生きているうちに少しでも現実のものとなれば違うのでしょうが、今の時点では望み薄です。まあ、こんな人生だったのだと割り切ることにしましょう。

若い頃には“ここまで生きるとは考えなかった”還暦を越えて65歳になった現在を考えると、今さらどうこうしても仕方がないんです。

最近は身体の調子が悪くて(といっても具体的にどこが痛いとかということではないですが)、寝ているときでさえも「あれ、死んじゃうのかな?」みたいな危険な印象があるんです。今は寒いですしね。過去にはヒートショックのような状態になったことが5回ほどあるんです。でもね、死なない。人間は死ぬと思っているとなかなか死なないんです。

神さまってのは意地が悪いから「想定外」が好きなんです。待ち構えたり、万全の準備をしたりしていると「面白くないから」死なないんです。それから信心なんてしているとろくなことがありません。裏切られて落胆するだけです。それに、神を語って殺人集団と化している輩も多いですしね。

僕はね、理想の土地(父の故郷である福島県の猪苗代町がいいですね)に建てた4LDKほどのデザイナー住宅(家庭農園付き)に住み、収入のことを考えずに撮影旅行したり、プラモデルや鉄道模型を作ったり、釣りしたりしたりしているうちにポックリと逝きたいですね。

あ、医師に余命を告げられなくても、人には自然の摂理としての余命があるんですよね。おっかないですね。ですから走る凶器の車なんか運転せずに飲酒喫煙もほどほどにして危険な連中がうろつく市街地なんかにも外出せずに引きこもって…あ、冗談です。まあ、充分に気をつけて生きましょう。


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