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災害の多様性「関東大震災から100年」 1

「冨岡八幡宮の復興碑」

昨年の暮れに、深川の富岡八幡宮に参拝した際に境内の裏手にひっそりとした雰囲気で石碑が建っていました。石碑の文字を見ると「復興記念碑」とあります。

大正12年9月1日に発生した関東大震災で冨岡八幡宮の社殿が焼失し、その後、復興構築が進められて、昭和8年に社殿が完成したのですが、その際に建てられたもののようです。富岡八幡宮のサイトを見ると、この復興碑についての解説がありました。

富岡八幡宮境内にある震災復興碑

関東大震災で焼失した社殿は江戸時代神社の代表的建築にして華麗なものでした。焼失した社殿は昭和8年(1933)12月に復興建築として完成しますが、この事業の完成を記念して建立したのが復興記念碑です。
復興記念碑の碑文によると、第一期工事で昭和5年8月に社殿建築が竣工しました。第二期工事では昭和8年7月に儀式殿、社務所、舞殿、手水舎などが竣工し、第三期工事では昭和11年11月に神庫、合末社が竣工して、全ての工事が完成しました。復興工事の起工から完成まで11年を経ています。
この工事の完成から8年と数か月後には東京大空襲で再び焼失します。関東大震災と昭和の戦災は連続的に発生した歴史上の大惨事であることが実感されます。

震災から復興した社殿は台湾産のひのき材を使用した色彩のない自然のままの木造建築でしたが、この社殿は東京大空襲で焼失しました。なお、復興記念碑にも関東大震災で焼け残ったのは七渡社*と絵馬舎だけとありますが、七渡社は東京大空襲の災難もくぐり抜け、この時に弁天池に避難した人は一命を取りとめたといいます。
現在の社殿は総鉄骨鉄筋コンクリート造りとして昭和31年(1956)に竣工しました。江戸時代の昔をしのび朱塗彩色の美麗なものになっています。
*七渡(ななわたり)社 富岡八幡宮の末社の1つで、祭神は市木嶋姫命(いきちしまひめのみこと)で七渡弁天とも呼ばれる。冨岡八幡宮が創祀される以前から祀られる地主神。

富岡八幡宮公式サイトから

関東大震災が発生したのは、大正12年(1923)9月1日です。今年は2023年ですから、ちょうど100年が経過したわけです。

100年の間にいくつもの大災害が発生し、政府は常に「その場しのぎ」の災害対応をしてきました。そのために毎回多くの方が被災して亡くなっているのです。

政府の無為無策と狼狽ぶりは東日本大震災時によく理解できたと思います。毎年発生する災害にも表面上だけ支援すると言うだけで、被災者のことなどどうでもいいように見えます。わずかな金を出すだけです。土地や家や資産を失った被災者は路頭に迷うだけです。政府というのはこういうものです。

ところが関東大震災後の復興対策は素晴らしいものだったのです。

つづく


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