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東京万景「吉展ちゃん事件」

円通寺にある「子どもを抱いた大きな地蔵」は何なのでしょう?

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円通寺の吉展地蔵

昭和38年(1963)3月31日の夕方、東京都台東区入谷町に住む村越吉展(むらこしよしのぶ)ちゃん(当時4歳)が、遊びに行った入谷南公園から行方不明になりました。当初は迷子になったのだろうと思われていましたが、日暮里の大火が発生した翌月の2日に誘拐犯を名乗る男から「身代金50万円」を要求する電話があったことで、警察は誘拐事件として本格的に捜査を開始します。

しかし、その後、身代金受け渡し時の張り込みに失敗し、身代金50万円を奪われたうえに、誘拐犯は捕まりませんでした。それから2年後に、有力な容疑者だった小原保(おはらたもつ)が、ようやく逮捕されますが、小原の自供から吉展ちゃんは誘拐直後に殺害されて南千住の円通寺の墓の中に遺棄されたことがわかります。捜査員が円通寺に向かうと、墓の中から白骨化した吉展ちゃんの遺体が発見されました。

昭和41年(1966)、東京地方裁判所は小原に死刑を言い渡しますが、小原側は控訴、しかし、東京高等裁判所は控訴を棄却、そして、昭和42年(1967)年、最高裁判所は小原側の上告を棄却して小原の死刑が確定しました。その後、昭和46年(1971)12月23日に宮城刑務所で小原の死刑が執行されました。

円通寺の“子どもを抱いた大きな地蔵”は「吉展地蔵」でした。吉展ちゃんの遺体が遺棄されたのが円通寺だったことで、お寺は、吉展ちゃん供養のための「吉展地蔵」を建立したのです。

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小塚原回向院の吉展地蔵尊

そういえば、南千住駅近くの小塚原・回向院にも「吉展地蔵尊」が建っていました。こちらは回向院が村越家の菩提寺という縁から地蔵が建立されたのですね。

吉展ちゃん事件時、僕は6歳でした。吉展ちゃんとはそれほど年が違わないのです。

小原に判決が下った年の昭和41年(1966)に公開されたドキュメンタリー映画「一万三千人の容疑者」を映画館で観た記憶があります。両親に連れられて映画館に行ったのでしょうね。映画の内容を理解できるはずがありませんが、うっすらと記憶に残っているのです。6歳の僕を連れて映画館に出かけた両親のことを考えると、事件の重大さが理解できます。吉展ちゃん事件は、子どもを持つ親が恐怖感を抱く大事件だったのです。

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