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「悪の法則」

僕の好きな映画に「悪の法則」(2013年公開)という作品があります。「ブレードランナー」、「エイリアン」のリドリー・スコット監督の作品です。マイケル・ファスベンダー、ブラッド・ピット、キャメロン・ディアス、ハビエル・バルダムなどの豪華俳優陣が共演している裏社会の物語です。

何気なく裏社会に足を踏み入れてしまった弁護士の不幸が描かれています。裏社会の冷酷さと残忍さが中心に話が進むのですが、監督(というか脚本家)が描きたかったのは、人生における運命の選択なのだと思います。

前か後か右が左かそれとも上か下か…?人生には無限の岐路があります。その折々で必ずいずれかを、何かを選択しなければなりません。ほんの小さな失敗であれば、やり直すことができますが、大きな選択をしなければならなくなった際に選択を誤ると、やり直しができないほどに人生が変って(狂って)しまうのです。

「悪の法則」の脚本は、コーエン兄弟作品の「ノーカントリー」で知られるピュリッツァー賞作家コーマック・マッカーシーが書き下ろしたオリジナル作品です。ちなみにノーカントリーは「血と暴力の国」(未読)が原作です。ノーカントリーも、この作品同様に救いようがない内容で、本作同様に「間違った選択をしてしまった主人公」の破滅までの姿が描かれています。

「悪の法則」のラストに主人公の弁護士(マイケル・ファスベンダー)に宝石商(ブルーノ・ガンツ:2019年没)が長々と語る言葉が好きです。それは以下のようなものです。

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「自分がしたことで新たな世界ができる。何かするたびに世界が変る。死体が砂漠に埋められればひとつの世界が生まれる。死体が見つかるように置かれれば、また別な世界が生まれる。我々が知るずっと以前からその世界は存在していた。自分が置かれた現実を見ることだ。それがアドバイスだ。

ああするべきだった、するべきではなかったと言う気はない。たとえ自分が犯したミスを取り消そうとしても、もう元の世界には戻れないんだ。君は岐路に立っている。行く道は自分で選びたいだろう。だが選ぶ余地はない。現実を受け入れるしかない。選択は終わっている。ずっと前にね。

悪くとらないでくれ。君のように現実から目をそむけがちなんだ。遅かれ早かれ人には悲劇が訪れる。我々はそれを受け入れる心の準備をしなければならない。だが、それができるものは殆どいないんだ。マチャード(*)って詩人を知っているか? マチャードは学校の教師だった。若く美しい娘と結婚した。心から愛していたが、妻が死んだ。その後偉大な詩人となった」

「僕は詩人にはならない」

「そうかもしれんが、もし目指したとしても君は救われない。マチャードは全ての言葉や自分が書いた詩と引き換えに1時間でも長く妻といたかった。しかし、人の深い悲しみと同じ価値を持つものは存在しない。置き換えることができないんだ。人は国を売り払ってでも自分の心から哀しみを消したいと願うものだ。でも、悲しみは消えないんだ。悲しみは決して消せない」

「何故そんな話をするんです」

「君が否定し続けるからだよ。君がいる世界の現実を。奧さんを愛してるか、心から。自分の運命と彼女の運命を交換できるか。死ぬ事じゃない、死ぬのは容易い」

「ちくしょう!」

「それを聞けて良かった」

「どういうことです。交換できるかもしれないんですか」

「いいや、それはできない」

「でも言ったじゃないですか。僕は帰路にいると…」

「そう。理解するべき岐路にいる。人生は取り戻すことができないということをな…。君は自分が選択した世界にいるのだ。君が消えてしまえば、君が作った世界は君と共に消え去ってしまう。しかし、自分が死に直面していると自覚した者にとって死はただの死ではない。別の意味を持つ。死を受け入れても愛する者たちが消え去ってしまうことは受け入れることができる。最後の時に自分の人生がどういう者であったのかようやくその真の姿を知ることができる」

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(*)アントニオ・マチャード:スペイン・セビリア出身の詩人。結核のために18歳で死んだ妻レオノールを描いた詩集「Campos de Castilla」がある。



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