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死に逝く者…義母の場合「夜走る」

義母の風子は、力のない声で僕を見つめながら「カッちゃん、あの2人をよろしく頼むね」と言って、義父と義妹を指さした。義父と義妹は病室の入り口で看護師と話しをしており、義母の言葉に気がついていない。

僕ぼような人間を頼りにしてくれているのだと照れて「イヤだよ、めんどくさいから」と笑いながら(義母が亡くなった後が大変だ)と心の中で呟いた。「まぁ、そう言わんでさ…」義母は元気なく言った。

「はいはい、わかったよ、わかりました」と照れながら言うと、寂しそうに笑った。

それからが大変だった。何度か義母は危篤状態になり、その度に僕と妻は義母が入院している西葛西の病院に向かったが、義母は持ちこたえた。一度は隣町である浦安の顧客を訪問している際に、妻から電話があり「仕事が終わったらすぐに来て」と言うので、新浦安から東西線の浦安駅まで歩いて、東西線で病院に向かった。また別な日には新木場から南砂町まで歩いて病院に向かったこともあった。一番きつかったのは真夜中に鎌ヶ谷からタクシーを飛ばしたことだ。

ある日の晩…といっても、とっくに日を越えて午前1時過ぎくらいのことだったと思う。義妹から電話があり、僕と妻は素早く身支度をしてから、タクシーを呼んだ。家を出ると、4月だというのにまだ肌寒かった。タクシーはなかなか来なかった。昼間は車の交通量が多い道なのに、真夜中であるから車も少ない。たまにやってくる車をタクシーではないかと期待しながら見送る。遠くから小さな光が進んできて目の前を通り過ぎたあとに、反対側の闇の中に消え去ってしまうという情景は、遥か彼方のことのようで、悪夢を見ているようだった。

おまけに自宅のアパートの前の写真店の庭には、かなり樹齢が経った桜の巨木があって、海底のサンゴのような無数の太い枝から見事な桜の花を咲かせている。闇の中に山のように幻のように聳え立つ桜の巨木は、幽霊のようで気味が悪かった。その桜もこの数年後に写真店の閉店とともに無残にも切り倒されてしまった。

桜を見上げながら「寒いな、お前は寒くないか?」と妻に言うと、「大丈夫」と答えて肩をすぼめた。「車が来たら、電話するからお前は部屋に戻れ」と促すと、妻は「嫌だよ」と言ってうつむいた。自分の母親のことを考えているのだろう。

しばらくして遠くに光が見えた。それが徐々に近づいてくると僕たちが呼んだタクシーであることがわかった。「やっと来た」妻が言った。

目の前で車が止って、ゆっくりとドアが開くと、女性的な男性の声で「ワタナベさんですか?」と聞かれた。「そうです」と答えながら妻を先に乗せた。「遅れて申し訳ありません」「いえ、こちらこそこんな時間に申し訳ありません。行く先は…」「西葛西M記念病院までお願いします」と、妻が僕の言葉を遮って行く先を告げた。運転手は「はい、わかりました」と言ってドアを閉めて発車させた。

「病院までは、急がなければなりませんか?」と運転手が聞いた。真夜中にタクシーを呼んで遠くの病院まで行くのだから何か緊急の用だと考えるのは当然のことだ。僕は「はい、でも無理せずに安全運転でやってくださいな」と答えた。

「運転手さん、無理しないで…大丈夫ですから」と妻が僕のあとを追いかけるように言うと運転手は「はい、わかりました。安全運転で…ちょっとだけ急ぎますね」と少しだけおどけて言った。僕と妻は顔を見合わせて笑った。妻の辛さが少しだけ和らいだようだった。

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