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放浪万景 25歳の旅 秋田市へ① 1982年3月


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1982年3月、太宰治の生家「斜陽館」の外観と、太宰が恐怖した地獄絵を保管している雲祥寺で住職に地獄絵の写真の見せてもらったあとに津軽鉄道で五所川原駅に向った。

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▲金木雲祥寺の地獄絵

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五所川原に着くと駅前の公衆電話から宿泊予定の宿「黄金崎不老不死温泉」に予約を入れる。無事に予約できたことを確認して、青森の川部駅と秋田県の東能代駅を結ぶ五能線で宿泊先の黄金崎不老不死温泉に向う。黄金崎不老不死温泉は旅館前の磯の中にある露天風呂が名物だった。

五能線沿いには、つげ義春の漫画にも登場した鰺ヶ沢や深浦などの海辺の町が点在している。五能線の駅名には、風合瀬(かそせ)、驫木(とどろき)、艫作(へなし)などの珍しい名前の駅が続いていて、異国を走っているような気分になる。アイヌ語からの変容かと思われたが、調べてみると意外にも単純な意味合いのようだ。

僕を乗せた気動車の右窓には、日本海の激しい荒波に洗われてできたゴツゴツとした鋭い岩の磯と、切り立った崖が陸と海を隔てている。

太平洋と比べると日本海は何故こんなにも荒々しいのだろう? 東北生まれの僕にはこの荒々しさが好きだ。

僕が生まれたのは東北といっても太平洋沿岸の街だったが、生まれてすぐに内陸の街に引っ越したので、太平洋の記憶はないのだ。以降、父の転勤先への引っ越しばかり続いた小学生時代には青森と秋田で陸奥湾、津軽海峡、日本海の洗礼を受けた。

そのうちに「海は荒々しくなければならない」という定義のようなものが僕の意識の中に構築されてしまったのだ。

だから、目の前に広がる懐かしい日本海の情景に、涙さえ浮かんでくる有様である。気動車はそのうちに艫作駅に到着した。今日、宿泊する黄金崎不老不死温泉がある駅だ。艫作(舮作)とは船の舳先を作るという意味だという。ここで降りたのは僕だけだった。改札を出ると待合室にも人がいない。外に出て駅舎を見る。駅舎は小さく、駅前にはつきものの駅前食堂も雑貨屋の店舗もない寂しい駅だった。バス停もタクシー乗り場もなかった。

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▲1983年当時の艫作駅

駅前から黄金崎不老不死温泉の旅館がある海岸の方に歩いて行く。町は丘の上にあり、旅館は丘陵下に広がる海岸に建っている。しばらく歩くと海が見えた。海には細かな波が規則正しく並んでいるように見えるが、実際には強風に煽られた激しい波が荒れ狂っているのだった。幸いにも晴天だったので遙か彼方に水平線も見えた。

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黄金崎不老不死温泉の旅館が見えた。大きな木造の建物は、強風と潮の塩分で、かなり痛んでいるように見えた。建物の中に入ると数人の宿泊客が見えた。それでもシーズンオフのためか客数は少なかった。受付で宿帳に住所と名前を書いて受付を済ませると旅館の主らしき中年男が「今日は宿泊客が少ないから、のんびりできるよ。食事は部屋にあるメニューから選んで、あとから連絡してちょうだい。あ、風呂は海岸の露天は使えないから大浴場を使ってね」と言って笑うと、他の宿泊客と一緒にどこかに行ってしまった。

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今回この旅館に泊まったのは、名物の磯の露天風呂に入りたいからだったのだが、この時の波は荒く、露天風呂には海水が溢れていて、下手をすれば波に浚われてしまうかもしれないのだ。

指定された部屋は8畳ほどの和室で、酷く寒かった。荷物を置いて座った。

「疲れたぁ」それにしても寒い。

石油ストープが置かれていたので、点火芯を持ち上げてマッチで火を点けた。プーンと燃焼時の独特な匂いが鼻をついた。しばらくして点火芯から燃焼筒に火が移行して温かくなった。悴んだ手をストーブの火で炙る。

テーブルの上にメニューが置かれていた。それを、しばらくじっと見ながら定食と「サザエの壺焼き」に「ホヤの酢の物」を注文することにした。その旨を受付まで電話で伝えた。

それから浴衣に着替えて、その上にどてらを羽織って、薄いタオルを肩にかけて大浴場に向った。ついでに浴場の写真を撮ろうと愛用の一眼レフも持っていく。田舎だから風呂に入っている間に脱衣かごから人のものを盗むような人間はいないだろうと信用していた。

ギシギシと音がする廊下を歩き、階段を降りると大浴場があった。浴衣を脱いで浴室に入ると高齢の男性がひとり身体を洗っていた。

「こんちは」と挨拶すると「おお」とだけ答えて手ぬぐいで背中を洗っている…というか泡立っていないので、ただ、タオルでゴシゴシとこすっているように見える。

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湯船に入る前に湯船に洗面桶を突っ込んでお湯で下半身を洗おうとして手が止まった。何だかドロドロと粘度が高い。

「塩が濃いがら石けん使えねぇぞ」高齢の男性が言った。

「え、塩が濃い?」

「湯口のお湯を舐めでみれ」と言うので湯口まで歩いて素早く湯に触った。「あちぃ…」手についたお湯を舐めてみた。しょっぱい。塩分濃度が高いのだ。

「しょっぱいですね」と言うと高齢男性が笑って、洗面桶で身体を流して立ちあがった。

「じゃ、ゆっくり入ってげ」と言うと大浴場から出て行った。

お湯を下半身の汚れを流して浴槽に脚を入れた。熱かった。

高齢男性が出ていったあとには誰も入ってこない。浴場の大きな窓から磯の露天風呂が見えた。荒波をかぶって風呂が見えない。

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▲黄金崎不老不死温泉の大浴場から磯露天を見る

「これじゃ露天に入れる訳はない。残念だな…」と諦めて湯船に浸かってため息をついた。「そうだ、写真を撮らなくちゃ」一度、湯船を出て脱衣かごから一眼レフを取り出して浴場の写真を撮った。そのまま窓側まで歩いて外の露天風呂があるであろう場所もレンズのクモリ(温度差でレンズに水滴がつく)を急いで撮影した。

満足すると脱衣場まで歩いて脱衣かごに一眼レフを入れてから浴衣を被せてカメラを隠したあと、また浴場に戻り、湯船に浸かった。

それから30分ほど洗ったり湯船に浸かったりしてから大浴場を出た。宿の中の写真を撮りながらゆっくりと歩いて部屋に戻ると、夕食が並んでいた。

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*あれから五能線も黄金崎不老不死温泉も変った。五能線沿線の駅からアクセスできる白神山地が世界遺産に指定され、五能線も有名になった。(白神山地は、秋田県北西部と青森県南西部にまたがる約13万ヘクタールの広大な山脈の総称)。不老不死温泉もテレビにもたくさん取り上げられて有名になったし、艫作駅も様変わりしているようだ。機会があればまた行ってみたい。




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