東京百景 目黒「お七の井戸」

画像1 江戸時代前期のこと。本郷の八百屋の娘お七は、火災現場で寺の小姓に一目惚れ。彼に会いたいがため自宅に放火しボヤ事件を起こし、鈴ヶ森で火あぶりにされました。 お七が恋した寺の小姓は、お七の火刑後に僧侶となって、名を西運と改めて目黒の明王院に入り、目黒不動と浅草観音の間を念仏を唱えながら隔夜一万日の行をなし遂げたといいます。 明王院は、明治13年頃まで目黒雅叙園が建つ場所に存在していました。 西運が念仏行に出かける前にお七の菩提を念じながら、水垢離をとったことから「お七の井戸」と言い伝えられています。

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