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市民活動とかボランティアとかが嫌いになったわけ…

3年前、地元のボランティアグループから「新しい市民雑誌を作るので相談にのって欲しい」と言われて指定された会場に行った。暇だし、雑誌編集は慣れた仕事なので喜んで出かけたのだった。それに将来的に副収入になるかもしれないと期待していたのだった。

会場というのは地元の飲み屋で、ほとんど初対面の人たちだった。僕は自分の仕事経歴を印刷した「消雲堂案内」と、22歳の頃に描いた漫画とイラストを持っていたので、まず自己紹介でそれらを見せた。

するとひとりのヺタクらしい女性が僕の漫画を見て「こんなところにスクリーントーン貼っている」と笑うのだった。僕が漫画を描いていた頃は、トーンは単純に服の模様や背景に貼るモノで、今のように立体感を出したりするのはずっと後の技術なのだが、それを理解していない彼女はただ笑うのだった。

「だからヲタクというのはイヤなんだ」とため息をついた。彼ら彼女らは自分では描いたこともないくせに、新しい漫画の描画技法だけを情報として取り込んで、知ったかぶりをする。多くの漫画家が苦労して積み上げてきた基盤なんか関係なしで、ただただ、現代のどうでもいい情報だけ取り込んで、さも自分たちが漫画を支えているといった勘違いをしていたりする。おまけに僕の30年以上の編集経歴にも、さっと目を通しただけで、ほとんど無視されてしまった。別に経歴を自慢するとか威張るつもりはないのだが、これまでの自分の経歴など一般人にとっては、どうでもいいことなのだなということもよくわかった。

「世代間格差ってことか」と、“仕事になるかな?”という期待感も喪失してしまった。これは時間の無駄になる、早々に退散しようと思っていたら葛飾区からフリーペーパーを編集制作しているという若者3人がゲストとして遅れて入ってきた。先ほどの僕に対する無礼な態度とは大きく異なった態度で、彼らから誌面編集の話を熱心に聞いている。このフリーペーパーは、デザインの素晴らしさだけでなく、広告費に頼らず地域貢献のみを考える編集方針が、長く広告ありきの業界誌で働いてきた僕にとっても凄く勉強になった。

なんだかんだで、僕への質問は何もなく場違いな雰囲気に鬱屈していると、ようやくお開きになった。ところが会計の段階で、葛飾区のフリーペーパー編集者たちには「あ、今日はゲストとしてお呼びしていますから」とお代を徴収せず、僕には「あ、3千円ください」と貧乏なのに3千円取られたのである。腹が立ったね。当時は3千円で1週間暮らせていたから、その重みが彼らには理解できないのだ。おとなしい僕も「プンプン」なのであった。

ま、大人だから金のことはいいわ。

それからしばらくして、失礼プンプンな連中から連絡があり、「編集を手伝ってくれ」と言う。人が良いようで実は悪い僕だが、この時は暇だったから手伝うことになった。編集に関する知識もどこで仕入れてきたかわからないヲタク情報で成立していて、憤懣やるかたないものがあった。全体のデザインの基盤も作ってあげて作業は進んでいく。

それでも「誌名は何にする?」と言うから「地元地名の下だけ取って○○でいいじゃん」と言ったら「えええ、ダサい」とバカにする。んで蓋を開けて見たら、きちんと「○○」になっている。それから文章を直してあげても自分が書いたものを重視して、明らかに文法がおかしいのに「素人だからこれでいい」なんて言いやがる。ドタバタ制作するうちにいつの間にか僕は写真専門になっていて全体のほとんどの撮影を行なった。

完成した創刊号を見たら僕の写真を上手に使ってデザインもアドバイスしたようになっていて見栄えの良いモノになっていた。これは僕の話を素直に聞いた隣町に住む女子大生の生来のセンスによるものだった。ただし文章は酷かった。そのほかのヲタクたちは創刊号の出来の良さは自分たちの技量によるものだと勘違いして自惚れたことを言い始める。

その後、「○○会」なるNPO法人を作ろうということになって、会費も3千円払って、次号への編集会議などに参加して色々とアドバイスしたのだったが、そのうちに何だか蚊帳の外にいるような雰囲気になった。

フリーペーパーの流れに逆行して雑誌の基盤である「広告を載せずに雑誌の部数販売で収入を得る」「誌面のページの抜き刷りも売ろう」という僕の意見を、いつのまにか彼ら彼女らが考えたように主張するようになった。これは雑誌編集に関わってきた人間でないと出せないことなのに、彼ら彼女らは少しも感謝することがない。

腹が立ったので「初対面の際に僕だけ飲み代を聴取したことと(今さら)、編集がうまくいったのは僕と隣町の女子大生のおかげだ」ということを主張すると同時に、言わなきゃいいのに「自分は貧困状況にあっても協力をしたんだぜ」とまで言っちゃった。ヲタクたちは反省することもなく、そのうちにますます僕を軽んじるようになった。この時は他に仕事もあって、時間ももったいないから、とうとう「辞める」と言ったら、少し困惑した様子だったが受け入れてくれた。

辞表を提出して帰宅途中「あちゃーーっ、会費の3千円返して貰えば良かった」なんてケチな事を考えながら歩いた。

この年は他に手話講座や市民会館委員などの市民活動にも積極的に参加して、ある会の20周年記念誌の写真撮影なども手伝って、結構忙しかった。しかし、これらの市民活動によって得られたモノは「自分の経験など誰も認めることなく、いいように酷使されるだけ」ということだった。

「素人は恐ろしい」ということが理解できただけでも、凄く勉強になった年であった。これからは二度と市民活動なんかには参加しません。


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