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花びらの旅

流されて生きることは楽です。ただし、自分の思いを抑えて流れに乗るのは辛いことです。自分を主張することよりも辛いことのように思えます。

自分を主張し生き続けるのは、楽な人にとっては楽です。ただし、楽なのは頂点にいる者です。所謂、流されて生きる者を自分の思い通りに流すことができる人です。声の大きな権力者? うーん…そういう表現もできるかもしれませんが、権力なんて長い人生の内の瞬間的なものです。権力者というのはあたりません。ただ、流されて生きる者を上手に流れに乗せることができる性格だけの頭は空っぽの人です。政治家とかYouTuberとか宗教家みたいな奴らのことです。そう、一時的な、流れては消える運命の人たちです。長い人生においては、朝起きてオシッコするような、ほんの僅かな時間の征圧者とでも言いましょうか?

よく考えれば、人の意見に流されて生きるだけの人生って不幸ですよね。歴史というのは、自分の思い通りに人を流す人と、自分の考えなしにただ流されて生きる人の物語ですが、瞬間的な権力争いに明け暮れる人たちと、いつの間にか争いに巻き込まれて不幸になる人の2つしかありません。

特に市民が戦いに狩り出されてしまう明治以降の歴史は、不幸な笑い話でしかありません。特に太平洋戦前後のおバカさん同士の戦いは目も当てられません。「流されて生きることの不幸」が理解できる時代でもあります。でも、その不幸を理解出来ないのが、多くの流されて生きる一般市民です。流されて生きることで、「第3次世界大戦」なんて無駄に命を消耗しちゃう争いが起きちゃうかもしれないのです。アア怖い。

僕は、実は流されていきたい人なのですが、自分の意に反して上手に流されることができないのです。ですから“たまに会って話す知人”は、いても、本気で自分の考えを聞いて貰えるような友人は一人もいないのです。仕事もそうです。ダメですね、僕は…(T^T)ウウ

僕は、浜田広介の「はなびらの旅」という童話が好きで、今でもたまに読んでいます。散った桜の花びらが蝶々になったつもりで舞い飛んでいると、雀に咥えられて、川に流されて、川を下って海まで辿り着くのですが…、これは花びらに例えられた生命の一生なんですね。

僕はこの花びらのように一生を終えたいのですが、童話ですからね。それに花びらは、あくまでも「桜の木」という本体から剥がれた古い皮膚のようなものです。本当の主役は本体である桜の木なんです。それに関するお話があってもいいですね。

でも、花びらは「流されて生きる人たち」を表す“象徴”として見事と言うしかありません。そういえば、総理大臣が主催していた“桜を見る会”つうのもありましたね。

僕もこれからは、花びらのように縷々転々と、時代や権力に流されて平和に生きようと思うのであります。





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