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25歳のひとり旅

土曜日の新宿は人だらけで、対人恐怖症気味の僕には辛い状況でした。福島の田舎から出てきた僕は都会の人間に対して軽度の拒否症状がありました。当時から新宿駅は、山手線、中央線、総武線、丸ノ内線、京王線、西武新宿線が入り乱れるターミナル駅でしたから八王子・多摩、長野、千葉、埼玉の各地方から沢山の人が通勤や観光のために行き来していました。都営線が増えた現在は、さらに多くの人たちで賑わっていますよね。

小田急の西口改札を出て、丸ノ内線の地下道に向かって歩きます。この頃から途中の国鉄改札近くの階段では名も知らぬ詩人さんが自家製詩集を売っていました。僕は1度も買ったことがありませんが、今もあそこに立ち手売りしているのであれば買うでしょうね。

さて、目的の喫茶店カトレアは紀伊國屋のひとつ先の地下にあったと記憶しています。カトレアはもの凄く広い喫茶店で、その奥の方にフリーライターのYさんが座っていました。目印はテーブルの上に置かれたデイリースポーツ紙だったと思います。Yさんは小太りのずんぐりとした体型の人で、薄い色のサングラスをかけていました。

「あの…」
「あ、渡部さん?」
「はい、初めまして、渡部と申します」
「座って、座って」
「はい…」
「あのさ、僕はこういう人だよ」と言って、むくんだような太くて短い指に自分の名刺を挟んで突き出しました。
「あ、僕、名刺ないんです」
「あ、そう。気にしなくていいよ。僕はね、R社のお抱えライターみたいなもので、ほら、こんなの出してるの」と言うと、鞄の中から2冊の本を取り出した。確か“東京不思議案内”“見るべき映画100本”といったタイトルの本だったと思う。
「本を出されてるなんて凄いですね」
「得意なのは街案内と映画解説なんだよ。で、早速だけど、イラスト持ってきてくれた?」
「はい…」僕はショルダーバッグから5枚の絵を取り出して、Yさんに渡した。それは当時、国道沿いの自動販売機で売られていた写真本の男女の絡みを模写したペン画だった。
「そんな感じで良いのでしょうか?」
「うーん…」と唸るような声を出して僕が描いた絵をペラペラと捲って見ていたYさんは「ふう」と、ため息をついた。
「線が固いね。それに描き込みすぎて怖い絵になっているよ」
「駄目ですか?」
「駄目じゃないけどね…あ、でも、この絵は駄目だね。もっと描き込みを少なくして、線も柔らかく描いてよ。女性は柔らかな身体のラインが勝負だよ。イラストはポルノ小説の挿絵になるんだから」

「そうなんですか?」

「そうだよ、来週、また持ってきてくれれば、その中から選ぶから…さ」
「使っていただけるんですか?」
「ま、来週の絵を見て決めるよ。渡部さん、たばこ吸うの?」
僕は「はい」と答えて持っていたメンソールたばこの箱を見せると、「ハッカかい? インポになるぞ」と言って笑った。
Yさんはカトレアのマッチ箱からマッチを1本取り出すと「これ、1本ずつ炎の色が違うんだぜ」と言ってマッチ箱の横のヤスリで擦って火を点けた。マッチはシュッと音を立てて紫色の炎を出した。

*掲載したペン画は、同じ時期に描いたモノです。カタチがとれないのでグチャグチャしていますが、デイリースポーツに掲載された絵も同じようなモノでした。ポルノ小説の挿絵としては失格ですねw

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