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災害の多様性「自死災害」


「自殺は絶対にいけません」

どんな不幸や悩み事があっても自分を殺すなんてことはやめた方がいいのです。僕なんか若いときには不幸も悩みもないくせに「いつ死んでもいいぜ」なんてバカな事を言っていました。バカですね。死ぬのは痛いし苦しいですよね。電車に飛び込めばグチャグチャな轢断死体が多くの人に見られるし、その路線の鉄道会社や電車を利用している乗客の方々など、たくさんの人に迷惑をかけてしまいます。自宅で縊死すれば、自宅は事故物件になってしまうし、だから死のうなんて思わずに生き続けましょう。そのうちに良いことがあるはずですもん。

「人の苦しみを理解できないくせに自殺するなんて言うな」とお叱りを受けるかも知れませんが、まあ、知らなくっていいじゃありませんか? テキトーに生きましょう。なんて書いているけれど、僕だって強い心の持ち主じゃないのです。将来、突然、どこかで自殺しないとも限らないしね。そうなったらゴメンナサイ。今のうちにお詫びしておきます。

ついでに書いておきますが、僕は特攻とか自爆とか国のため、家族以外の人のために死ぬなんて意味のない行動は大嫌いです。

強制されて、いや、強制されなくともですね、それは洗脳災害、いや、洗脳犯罪ですからね。中身のない奴らにそそのかされて、流されて、イイナリになるのはやめましょう。神に救われるはずもない。無駄死ににしかなりません。

それに、有名人のあとを追って自殺するのもいただけませんね。有名人は神でも何でもない、ただの人間です。有名人そのものを尊敬してもいいけれど、彼ら彼女らが生んだ作品の素晴らしさがすべて。生みの親なんかどうでもいい。ほどほどに尊敬、敬意をはらいましょう。後追い自殺なんて永遠に笑い者になるだけですからやめましょう。

乃木希典夫婦の明治天皇殉死なんてお笑いぐさです(あくまでも個人の意見です)。死ぬなら乃木だけ死にゃいいのに。奧さんまで道連れにして・・・ああ、キモチワルイ。

「自死の血筋」

歌舞伎役者一家心中事件は、素直に考えても恐ろしいことです。自殺するならば家族を巻き添えにすることはないと思っています。「残された家族のことが心配だから殺す」というのはあまりにも身勝手ですよね。それに、一家心中というのは、あくまでも生き残った人間が証言しているだけで、真相はわかりません。遠い昔ならば尊属殺人で死刑になったものですが、世間には都合というのがあるのだろうから、そんなことに頭を働かせるのは時間がもったいないですからやめます。

そんなことよりも「人間の自殺に至る精神状態」というのが気になる。過日購入した田中貢太郎の「日本怪談実録」のなかに関連する文章がありました。

実録怪談の名手・田中貢太郎が書いた『日本怪談実話』の一編「三原山紀行」です。随分のんびりとしたタイトルだが、中身は違います。

歌舞伎役者の二代目市川猿之助の弟の八百蔵(中車、八百蔵として八代目)は、当時の歌舞伎役者には珍しく商業高校に進学したが、若気の至りか厭世感が強くなる時期なのか、軽々しくも自殺しようと考えて伊豆大島に向います。旅館に二晩泊まってから三原山の火口に飛び込んで死のうと山頂に向います。しかし、当日は天気がよくない。暴風雨でした。暴風雨の中、山頂に辿り着いて火口を見ると、火口から吹き出る蒸気の色が赤いのが気にいらない。仕方なく旅館に戻ってしまいます。この感覚が僕には全然理解できません。

旅館に戻ってきた八百蔵の様子が変だと気づいた宿泊客のひとりが八百蔵に「喜熨斗くんじゃないですか?」と声をかけてきました。「様子がおかしかった。厭世感を起しちゃいけないので声をかけた」と言って、仲間のところに誘います。そこで打ち解けて友人ができたと喜び、厭世感もなくなりました。

ところが、その晩、宿泊客のひとりである女性(八百蔵の隣室に宿泊していたということ)がいなくなったので、大騒ぎになります。探していると海に突き出た御崎の上で女性が履いていた下駄を見つかります。「投身自殺した」と、皆で女性の行方を捜すと、夜明けに磯に打ち上げられた女性の遺体を発見します。女性の遺体には目や口に砂がたくさん詰まっていたということです。

自殺する気がなくなった八百蔵は、東京に電報を打って迎えに来てもらうことになりました。その日の夕方、八百蔵たちが風呂に入っていて、そのうちの一人が湯船から出て窓の方に行って宿の下にある裏庭を見ると、驚いて叫びます。その声に驚いた仲間たちが窓から裏庭を見ると、物干しに女物の衣服が干しっぱなしになっており、その袖口から青白い手がぶら下がっていました。

「有名女優の縊死自殺」


日本怪談実録には、八百蔵以外にも有名人の怪談が収録されています。女優であり歌手でもある松井須磨子もそのひとりです。タイトルは「松井須磨子の写真」です。

某新聞写真部の男が特ダネにつながる写真ネタを探して東京の神楽坂を歩いていると、ひとりの女性が電柱に貼られている広告を凝視していました。見れば女優の松井須磨子でした。何気なくパチリと写真を撮ってから「こんにちは、松井さん」と挨拶して愛想を言って別れました。

翌日、撮影したフィルムを現像していると、松井須磨子の自殺が報じられました。神楽坂で撮影した須磨子が最後の姿になりました。その写真を掲載すると話題になりました。多分、かなりの部数が売れたのでしょうね。

のちに「松井須磨子が電柱の広告を凝視する写真」をよく見ると、須磨子が凝視していた電柱の広告は仁丹の広告で、宣伝文には「明日をも知れない人の身の上」と印字されていました。

松井須磨子は生涯2度結婚離婚しており、1度目の結婚の際には自殺未遂をしています。2度目の結婚時に女優を志しますが、「器量が悪い」と言われて、鼻に蝋を注入して整形手術を行なったり、猛勉強ののちに女優になる夢は叶うものの、家事が疎かになり、離婚してしまいます。

最後は作家で演出家の島村抱月と不倫関係となり、ともに芸術座を旗揚げしたりロシア公演を行なうなどの活動を行なっていましたが、大正7年(1918)に抱月がスペイン風邪に罹患して病死すると、須磨子も2ヶ月後にあとを追って縊死自殺してしまうのです。

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