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茂庭山(もにわやま)1
僕の母の旧姓は「茂庭(もにわ)」なのです。岩手県一関市の山奥の神社の神主の家に生まれたんです。茂庭の元は、福島県にある飯坂温泉の奥にある伊達郡茂庭地域が源です。斎藤実盛(現在の埼玉県熊谷を本拠とした)の近親であるという山城国愛宕郡八瀬(現在の京都府)に住んでいた斎藤行元を初代としています。
僕の父は3回結婚していて、2回目の結婚(僕には腹違いの姉がいます。会ったことはありません)の際に飯坂温泉で働いていた母に温泉に遊びに来ていた父が惚れて浮気しちゃったらしいのです。それで父は離婚して母と結婚したのですが、戸籍謄本を見ると、なかなかに複雑なのです。
以下の物語は、そんな話とは関係がありません。昨日、たまたま病院で思いついてスマホに入力したものです。
*
末期がん患者が山中で迷い、山から抜け出た際にはがんが完治に近い状態になっていたという小説を読んだことがある。
僕も末期の肺がん患者である。この小説を読んで希望が持てた。樹木とそれを育てた土壌による清浄な空気が病を治癒させたのかもしれない。
実は末期の肺がんで余命3ヶ月と告知されたものの治療する金はないのである。それに末期の肺がんであるから気休めの治療は必要ない。どうせ最期は呼吸できなくなり苦しんで死ぬのだ。
ならばとどこかの山で、清浄な空気のなかで死にたい。小説のようにがんが治るのならさらにいい。そこで最期を迎える山をネットで探した。残念ながら遠くまで出かける金はない。そこで、僅かな着替えをリュックに詰めて、目的の山に向かうことにした。目的地は決めている。生まれ故郷のF県にある茂庭山(もにわやま)だ。
しかし、電車賃は隣県の黒澤駅までしかない。黒澤駅からは歩いて茂庭山まで向かうのだ。距離は50キロぐらいだから、今の体力なら3日もあれば着くかもしれない。道は一般道を歩かず山中を行く。F県とT県は、都合よくO山脈で繋がっている。
たとえ途中で力尽きても山のなかだ。誰にも迷惑はかからない。幸いにも僕には家族はない。15年前に死んだ妻との間には子がいないし、仲のよい知人もいない。68歳の高齢者だから天涯孤独は当たり前のことだ。
その日、僕は自宅アパートがある下谷から上野駅まで歩いて、東北本線の各駅停車に乗った。歩くのも駅の階段を上がるのが辛い。
電車に乗ったら睡魔が襲ってきた。弁当を買う金もないし、車窓から景色を愛でる精神力もないからちょうどいい。そのまま眠ってしまった。
それからどれくらいね時間が経っただろうか。「O山~」という車内放送の声で目が覚めた。ここで乗り換えなければならない。
「まもなく黒澤行きが発車いたします」という駅放送が聞こえた。
慌てて降車して、隣のホームに停車している黒澤駅行きの電車に乗り換えるために階段を駆け上がった。寝たからだろうか、体力が回復し、若い頃のように階段を駆け上がることができた。発車チャイムが鳴っている。無事に乗車できた。
「おかしいな、息苦しくない。やっぱりたまに運動すれば体力は回復するんだな」と気楽に考えていた。
黒澤行き列車はディーゼル気動車で2両編成だった。
列車が、しばらく走ると若い女性の声が聞こえた。
「おじさん、ここ空いてる?」見れば、20代前半だろうか? 背の高い女性がふたり立っていて、僕の対面の席を指さしていた。
「あ、空いていますよ」と答えると「あ、そう」といってふたりは、座った。ミニスカートを穿いており、スカートからむき出した太股と脹ら脛が眩しかった。
「ねぇ、おじさん、黒澤まで行くの?」
「そうだよ」
「黒澤からはどうすんの?」
「歩いてF県の茂庭山まで歩いて行くんだよ」
「へぇ、じゃあさ、あたしたちも一緒に行っていいかな?」
「何言ってるの?歩くんだよ。それも山の中を歩くんだよ」
「大丈夫だよ。ねぇ」
「うん、一緒に歩くよ」
「俺は無一文だから、食事も摂らずに歩くんだよ」
「うん、大丈夫だよ」
「それに、そんな格好じゃ山の中は歩けないよ」
「これならどう?」見れば、いつの間にかふたりともミニスカートから登山服に代わっていた。
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