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林静一さんのこと

僕は25歳から独り立ちして(遅い…)東京の上落合(一応、新宿区です)に住み、池袋西部の画材売り場で働き出しました。1982年のことでした。その画材売り場に、毎週のように漫画家の林静一さんが画材を買いにやってきました。

僕は小学生の頃に(その頃は秋田市に住んでいました)雑貨屋の店頭見つけて買った漫画雑誌「ガロ」で林さんの「巨大な魚」を読み、「こんな世界を描けたら…」なんて子ども心に思ったのです。それで漫画家になろうと決めたのです。でも夢は叶わぬものです。ガロには他にも“夕闇迫る田舎町の街道のように陰鬱で異様な雰囲気”の漫画ばかり載っていました。

ガロを読むと同時に、手塚治虫さんが発行していた漫画雑誌「COM」も読んでいましたが、時代に合った垢抜けたCOMよりも、田舎臭くて垢抜けないガロの作品群に自分に近いものを感じたのでしょう。

小学生のくせに、大きな画板を、前方に漫画本を重ねた上にのせて斜めにして、その両脇には空き缶にいっぱい鉛筆にペンに烏口を詰め込み、ついでに羽バケ突っ込んだものを立て、Zライトを机にネジ止めして漫画家気どりです。しかし、それは格好ばかりのことで、実際に漫画を描く事はありませんでした。

群馬県の某私立大学生だった頃は3年間も大学にも行かずアパートで、ウダウダと時間を過ごしたことがありましたが、結局、何もせずに無駄な3年間…。その時に「漫画描きゃあよかった」と今でも後悔しているのですが、残念ながら時間を元には戻せません。

それから時間が経ち、3年で大学を中退して、引き続き神奈川県の自宅で引きこもっていた20歳くらいの頃になって、ようやく漫画のようなものを描き出すことになるのですが、いやぁ~遠い道のりでした。それでも描き始めてみると、超ヘタクソでした(笑)。

んで、目黒の絵の研究所に通いながら、通信教育も習ったのですが、生まれつきのヘタクソは下手なままでした。

絵柄は、影響を受けた林さんの絵よりは、つげ義春さんと大友克洋さんの絵を足したような感じになりました。模倣しているわけでじゃないのですが、好きな漫画のようになったのですね。

漫画のようなものは、本当に“のようなもの”でした。気に入った写真を見ながら下書きした絵の上から、主に丸ペンで丁寧にカリカリと描いて、それに(テキトーに)ツブヤキを入れていくんですが、もうこれは漫画なんかではなく、丁寧な落書き(そんなものあるのか?)でした。

おっと…林静一さんの話でした。

その林さんは、自分が働いている画材売り場に画材を探しに来るんです。すごく近くにいるんです。しかも、僕に画材のことをいろいろと尋ねてくるんですよ。まさに夢のようでした。ただし、林さんは人と接するのが嫌なようでした。

デパートあげてのバーゲンセールの際には、画材売り場でもワゴンにたくさん油彩やら水彩やらの絵の具を安く売ったのですが、ある日、ふと見ると、林さんが近くの柱の影からじいっとワゴンを見ていました。それがなんだか滑稽で、林さんほどの絵描きさんが何をしているんだろう?と思って、僕は林さんに「お徳なので近くでよくご覧ください」なんて余計なことを言ってしまったのです。

林さんはそれで気分を害したらしく、さっさと売り場を離れてしまいました。一流の絵描きさんに安い絵の具をすすめたのが失敗だったのでしょうか?それはいまもってよくわかりません。

その後も林さんは売り場に顔を出してくれたので、僕に対して怒ったのではないと思うのですがね。ただし、バーゲンセールのときは相変わらず、林さんは柱の影からワゴンを見つめているのでした。


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