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ぴるぐりむ

僕は、もうすぐ65歳になろうとする高齢者「爺三郎」である。ああ、じじさぶろうと読む。僕は生まれてからずうっと歩いている。だからどこで生まれたのかはわからない。歩き続けているから家なんかない。50歳くらいまでは両親も妹も一緒に歩いていた。家族人生ウォーキングである。しかし、今は、たったひとりで歩いている。気づいたら家族は死んでいた。家族が死んでも僕は構わずに歩き続けた。

立ち止まっての埋葬など意味がない。墓なんか無駄なモノは持たない。それが両親の教えだった。しかし、妹が死んだときには少しだけ立ち止まってしまった。何故だろう? 以来、妹の幽霊が僕のあとをついて歩いている。両親が死んだときには、歩くのを諦める年齢だったから幽霊になることもなかったが、妹はまだ若く、生きたかったらしいのだ。

だから妹は幽霊になっても僕のあとをついて歩いている。僕はそれで満足だった。彼女が僕の心の寂しさを癒やしてくれるからだ。

僕は生まれてから一切教育を受けたことがないし、働いたこともない。ただただ歩いているだけだ。人と会話をするのは迷って、道を聞くときだけだ。他人なんてどうでもいい。歩いていることこそ、僕自身が生きている証しなのだ。

ある日、僕は自分が生まれ故郷を目指して歩いていることに気づいた。故郷こそが僕の人生の出発点なのだから。妹もそれに納得してくれた。

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ある街まで来ると、もう深夜になっていた。

「おにいちゃん、お腹がへった…」と妹が言う。

やっと気がついた。僕たちは生まれてから1度も食事をしたことがない。歩くことが生きる糧となるので、歩くことが食事であり、排泄であり、睡眠であるからだ。歩く続けることが生きることにつながるのだ。両親や妹は歩く途中で疲れてしまったのだった。歩くのを止めることが死なのだ。

「幽霊になると人間のように食事が必要になるのか?」

「歩いていてもお腹がいっぱいにならないもの」妹が口を尖らせた。

「でも、歩くのを止めると俺は死んじゃうんだよ」

「いっそのこと死んじゃえば私と一緒にあの世に行けるのに…」

「しようがない。『未知の駅』に行くか」

「未知の駅?」

「うん、俺たちのような歩く人間専用の施設さ。まだお前が小さかった頃に親父とお袋に連れられて入ったことがある。広い施設内は、街中のように車や通行人といった歩くのに障害となるモノがいっさいなく、安全に睡眠がとれる(安全に歩くこと)んだよ」

「ふうん。ご飯も食べられるの?」

「それは覚えていないけれど…とにかく行ってみよう」

「どこにあるの?」

「あそこさ…」

100メートルほど先に古民家のような建物が見えた。

「あれって、歩けるの?」

「あの古民家の裏に大きな野球場のように広いグラウンドがあるんだよ」

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古民家の中に入るとひとりの上品な紳士が現れて、僕たちと一緒に歩きながら「いらっしゃいませ」と言って笑った。

「あ、どうも。食事もできますか?」

「食事ですか?」

「はい、妹が腹が減ったと言うので…」紳士は妹を一瞥して笑った。

「はい、大丈夫ですよ。妹さんは歩かなくても大丈夫でしょうから、あちらのカウンターにお座り下さい」促された妹はカウンターの椅子に座った。

「じゃあ、僕は裏の就寝コースを歩きます」

「承知いたしました。妹さんはお任せ下さい。ゆっくりと、おやすみなさいませ」

「宿代は、明日の出発時にお支払いいたします」僕が言うと紳士は優しく笑って「お客様は、ご両親様より永遠就寝権がございますのでお代は不要です」と言った。

「そうでしたか。両親に感謝しなくては…」

「お兄ちゃん、じゃあゆっくり休んでね」

「うん。お前も食事したらゆっくり休め」妹が頷いた。

僕は古民家の裏から就寝コースへと進んだ。就寝コースの天井は透明で、ドーム状になっており、荒天時にも安全に熟睡することができる。この中をぐるぐると歩き回ることでじっくりと休むことができる。透明な天井からは雲ひとつない夜空が見え、怪しく光る月が浮かんでいた。

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