マガジンのカバー画像

小説『プラトニックは削れない』

20
法人類学者の殺人鬼VS愛を深く知る二代目探偵+感情を骨ごと削り取る探偵助手。 骨に隠された愛を紐解くボーイズライフ・ミステリー。
運営しているクリエイター

記事一覧

『プラトニックは削れない』第二十話

2024年7月  事件に始業と就業はなく、朝も夜中も関係なくそれらは起こる。  朝方。寝ていた風間はスマートフォンのバイブに叩き起こされた。アラームではなく電話だったので取ってみると、元倉警部補の低い声が『事件だ』と告げた。 『古代渚向きの、痴情の絡んだ謎多き事件らしい』 「なんですかそれ」 『知らん。安田に聞け』  詳しいことは現場で話すと言われた。  風間が起き上がってカーテンを開くと、まだ薄い朝日が目をちかちかと刺激した。  部屋着を脱ぎシャツを羽織る。ふと腹部に手を

『プラトニックは削れない』第十九話

****年*月  ぼんやりと目を覚ました風間は、頭をもたげた。どうやらテーブルの上で寝ていたようだ。何度かまばたきをすると、手元に湯気の立たないコーヒーのカップが見えた。  正面には、手を組んでこちらを見据える精悍な顔つきがある。 「先生……?」  紛れもなく、風間の目の前にいるのは古代善だった。  風間は空港のコーヒーチェーン店の中にいた。妻を亡くした善が渚と一緒に帰国したきた時、入った店だ。見晴らしのための窓辺には、幼い渚が両手を窓にくっつけて、滑走路を凝視していた。

『プラトニックは削れない』第十八話

「やめろぉッ!」  叫んだのは風間だった。 「やめろ、やめろ、やめろ……!」  その場でうずくまり、打ちひしがれては何度も「やめろ」と繰り返す。その姿に渚ばかりではなく、幸崎すらも言葉を失っていた。  顔をあげた風間は、渚の両肩を掴んで揺さぶった。 「殺したのはぼくだッ! 筒木を殺して死体を隠して、行方不明扱いにした。白骨化した死体を八王子の茂みに埋めたんだ! 罪の意識からそうしたんだ……!」 「警察に出頭したところで、その嘘を通すのは不可能ですよ、風間さん」 「どうして……

『プラトニックは削れない』第十七話

2023年6月 6  風間はふと目が覚めた。  いつの間にか教会の長椅子に寝そべっていたようだ。風間は痛む節々をかばい、頭を手で押さえながら頭をもたげた。辺りは夜明け前の薄暗い灰色で、昨日、渚と二人で廃教会に身を隠したことをぼんやりと思い出す。渚は風間とは反対側に体を倒して寝ていた。  風間が周囲に首を巡らせたと同時に、廃教会の割れた窓際で、ザッと地面を踏みしめる音がした。音にびくりと反応し、風間の全身が張り詰めた。  ──警察か? 「かぁざまさーん」  間延びした声が響く

『プラトニックは削れない』第十六話

2023年6月 4  夕暮れの浜辺に潮風が吹き付けていた。  風間は渚とともに浜辺に上がって、体を濡らしたまま、声を搾り出しながら、失っていた記憶のピースをひとつひとつ拾い上げた。  筒木の罠にはまった自分の罪を。  殺人鬼に息子の存在を伝えてしまった失態を。  事件をなかったことにすれば、善を守ることができると信じた傲慢を。  風間はからっぽの心を両手で抱えて、笑みのようなものを顔に浮かべた。 「ただ……先生と渚を守りたかっただけなんだ。先生の、探偵としての名誉を。なのに

『プラトニックは削れない』第十五話

2010年2月 3 「──では状況を確認しますよ。後日また証言していただきますけど、念のため」  古代邸に押し寄せてきた警官のうちの一人が、風間に厳しく問いかけた。 「筒木肇は古代さんの殺害のため、古代邸に侵入。しかし隙を見てあなたと古代さんの二人掛かりで筒木を阻止しようと揉み合った。お二人が怪我をしたのはその時ですね? その後逃走しようとした筒木は、物音に気付いて二階から降りてきたお子さんの渚くんを人質に取った。玄関口まで渚くんをともなって逃げた筒木は、そのまま逃走。その

『プラトニックは削れない』第十四話

 次の日の早朝。  先方が指定した待ち合わせの時刻まではまだだいぶ余裕があったが、風間は住宅路を回って古代邸の裏手にあるガレージへ回り、車に乗り込んでいた。後部座席には、建物を探るために必要な工具類を積載して毛布で隠していた。  筒木に命を捧げにいくが、タダでくれてやるつもりもない。死をもって善の身の安全を確保し、隠された頭蓋骨も見つけ出して筒木の息の根を止めるのだ。  風間は車を法人類学研究所まで走らせた。  研究所に着いた頃には日も十分に登りきっていたが、それでも山中は少

『プラトニックは削れない』第十三話

 次に目を覚ました時、風間の視界には見慣れた天井が見えた。古代邸にある自室の天井だ。  自分の身に何が起こったのか、風間はぼんやりとした思考で思い出そうとする。  ──たしか東部大学の駐車場で倒れて……なぜ倒れたのだったか。そうだ、筒木肇が……! 「大丈夫?」  幼い声が風間の恐怖を強制遮断した。視界いっぱいに子供の顔が入り込んでくる。 「……渚?」  渚は風間の声には答えず、小さな手のひらを風間の額に当てた。 「熱はないね。気分悪い? 頭痛い?」 「ううん、だいじょうぶ」

『プラトニックは削れない』第十二話

 閉じた冷たい扉に、背中を押し付けられる。  逆三角形の目が、風間の顔を虚ろに見下ろしていた。 「つ、筒木せんせ──」 「きみはいいなあ」  恐ろしく間延びした、ため息にも似たささやきを筒木は漏らした。その口先が吊り上がる。 「古代善にこんな助手がいたとは」  風間は、次の獲物として筒木に捕捉されたのだと理解した。 「や、やめてください」 「なぜ今まで、どのメディアもきみを取りあげなかったのだろう?」  掴まれた手首を振って抵抗しようとするが、相手の指はびくともしない。腰に仕

『プラトニックは削れない』第十一話

 数日後。風間は古代邸のガレージにある車を運転し、法人類学研究室のある東部大学へと走らせた。助手席にいる古代善とは必要以上の会話が起こらず、かといって重苦しさとも違う沈黙が流れている。  風間は、今すぐ車を来た道へUターンさせたい衝動に駆られていた。  信号に引っかかったタイミングで視線だけ助手席へ向けた。  助手席では、善もこちらを見つめていた。黒い瞳が間違いようもなく風間を捉えている。  風間は図らずも師と目を合わせる形になり、心臓が止まりかけた。視線を慌てて正面へ戻すと

『プラトニックは削れない』第十話

 すぐに捜査資料を見たいということになり、風間の運転する車で古代邸に戻った。  古代邸にはすでに刑事が待ち伏せしていて、一連の殺人事件に対する推理を今すぐにでも聞かせてほしいというふうだ。  渚をハウスキーパーに任せ、善と風間はすぐに捜査資料を応接間にあるテーブルの上に広げた。担当刑事は手帳を開きながら、事件の概要を述べていく。 「被害者は現在のところ五名。最初に発見された被害は二十日前で、現場は荒川区の汐入(しおいり)沿いの隅田川です。水面に浮かんでいた遺体は、頭部が何者か

『プラトニックは削れない』第九話

2010年2月  古代善と出会った日のことを、風間は今でも鮮明に思い出すことができた。十四歳の頃だった。  身を寄せていた児童養護施設の施設長は善と知り合いで、かねてから若い助手を探していた彼に「風間くんを」と推薦したらしかった。  唐突に面会をさせられた風間は、善の姿を見た瞬間に、全身が震えた。  夜が似合う人だ。窓際のテーブル席に脚を組んで座っていた彼は、スーツが馴染む鳶肩に、短く刈り上げられた髪と精悍な顔つきをしている。一見すると刑事然としているが、野性味はなく理知的

『プラトニックは削れない』第八話

 東京から熱海をつなぐ東海道本線の車内に座りながら、渚に元倉と安田から逃げる経緯を聞いた。風間の口から、安堵なのか呆れなのかわからぬため息が肺から漏れ出る。 「刑事を出し抜くなんて、なんてことを……」 「褒めてくれてもいいんですよ?」  ──こんなはずではなかった。  窓の外には昼下がりの海が眼前に広がっていた。平日に東京から静岡まで在来線を使う人数は多くなく、席はまばらだった。 「風間さんは、逃げた後どこへ行くつもりだったんですか」  渚が唐突に話を振った。 「実は考えてい

『プラトニックは削れない』第七話

2023年6月 3  幸崎総一郎が古代邸から去ってから、どれくらいの時間が経っただろう。風間は打ちひしがれていた姿勢から顔を上げた。体感時間としては永遠にも思えたが、腕時計を確認すると実際はほんの数分しか経っていなかった。風間はバインダーを強く握りしめた。  ──あの白骨遺体は筒木肇だった……?  十三年前。筒木が行方不明になる直前に接触していたのが自分と古代善、そして六歳の渚であることは、すでに警察には知られている。であれば警察は、今すぐにでも古代邸にいる風間を訪ねるだろ