『プラトニックは削れない』第十七話

2023年6月 6

 風間はふと目が覚めた。
 いつの間にか教会の長椅子に寝そべっていたようだ。風間は痛む節々をかばい、頭を手で押さえながら頭をもたげた。辺りは夜明け前の薄暗い灰色で、昨日、渚と二人で廃教会に身を隠したことをぼんやりと思い出す。渚は風間とは反対側に体を倒して寝ていた。
 風間が周囲に首を巡らせたと同時に、廃教会の割れた窓際で、ザッと地面を踏みしめる音がした。音にびくりと反応し、風間の全身が張り詰めた。
 ──警察か?
「かぁざまさーん」
 間延びした声が響く。忘れようもない声だ。
「どこですかぁー?」
 幸崎総一郎がここに来ている!
 なぜ。風間の脳内が疑問符に支配された。どうやって居場所を嗅ぎつけた? スマートフォンは海に捨てたはずだ。大体の位置を知ることはできても廃教会にいることは知られていないはず。
 幸崎に隙を与える要素があるとすれば──。
「あ……」
 風間はボストンバッグの中身を漁り、つい持ってきていた筒木肇の解剖鑑定書のバインダーを引っ張り出した。
 バインダーを開くと、裏表紙の内側に、バインダーと同じ山吹色にペイントされた紛失防止(トラッカー)タグが貼り付けられていた。一円玉ほどの大きさのシールタイプで、おそらく遠距離対応のものだ。
 風間は幸崎と電話で交わした会話を思い出した。
『あはは、あなた自身、いつまでも逃げ切れるとは思っていないでしょう』
 ──あれはトラッカーを仕込んだことに対する布石の言葉か。
 迂闊だった。
 解剖結果に動転して、単純な工作に気づけなかった。
 幸崎の目的はひとえに、父である筒木肇の系譜を継ぎ、彼が殺すはずだった人間を殺し続けることだ。風間が筒木の遺体をバラバラに遺棄し証拠を隠滅したと知れば、容赦なくこの命を刈り取りにかかるだろう。その代わり、殺しの邪魔をされないよう、警察にはこの場所をまだ知らせてはいないはずだ。
 椅子の上で深く眠っている渚を見た。
 筒木が善に加えて渚を殺そうとした過去を幸崎に知られたら、ただでは済まない。
 ──二度と渚を危険な目に遭わせるわけにはいかない。
 すべての引導を渡す時だ。
 風間は渚の額を撫でて、決意とともに腰を上げた。


 廃教会の外へ出ると、幸崎総一郎はまさに扉に向かって歩いているところで、風間から五メートルほどの位置にいた。白衣は着ておらず、薄手のタートルネックにジーンズと動きやすい服装で、ショルダーバッグを提げている。
 現れた風間の姿を認めると「あぁー」と、自身の望んだ結果に満足の声を漏らした。
「探しましたよ」
「トラッカーをつけておいてよく言う」
「古代さんは一緒じゃないんですかね」
「渚は探偵だ。殺人鬼と一緒にいたいとは思わないだろう」
 幸崎の眉がピクリと動いた。その隙を風間は逃さず、宣言する。
「筒木肇を殺したのは、ぼくだ」
 風間は八王子の白骨遺体が出た時から、この嘘を貫き通すことを自分に決めていた。
 過去、風間が筒木の遺体を隠滅したことから、八王子の白骨は誰かが筒木の遺体をでっち上げたということはわかっていた。だが風間にとってはそれが好都合だった。
 風間が殺人の罪を負えば、善の罪を完璧に消滅させることができる。探偵としての名誉を永久に守ることができる。そして善が自殺した理由は助手が殺人を犯したゆえだと、警察に『無責任』の汚名を返上することができる。
 それが、風間が筒木の遺体を遺棄した罪や、善を死なせた罪のけじめだと思っていた。
 渚はすべてを知ってもなお、そばにいたいと言ってくれた。だが、これだけは譲れない。渚を犯罪者の息子というレッテルから守る道が、ひとつでも残っているのならば。
 ──これこそ、ぼくが唯一成し遂げたいことなんだ。
「あはは。ほんとうに、探した甲斐があったってもんですよ」
 幸崎はショルダーバッグに手を入れて、小型のレシプロソーを取り出した。刃渡りは三十センチ近くある。かつて筒木肇が被害者の頭部を切るときに使っていたものだ。
「逃げたからには犯人はあなたしかいないと思っていましたけど、もったいぶらないで、もっと早く申告して欲しかったですね」
 風間は腰から特殊警棒を取り出して右手に持ち、腕を払う。折りたたまれていた棒がバチンと剣のように伸びた。
 幸崎はショルダーバッグを脇に捨てながら、にいと笑った。
「お、抵抗しますか。昨日までは誰でもいいから殺してほしいって感じだったのに」
「ぼくがあなたに殺され、あなたを殺人者にすることで、被疑者死亡で筒木肇の事件の幕を下ろす。渚に降りかかる脅威をすべて排除して、解放する。そういうシナリオだった」
 特殊警棒の持ち手を強く握りしめる。
「だが、ぼくは渚のために生きる。生きて自首して罪を償う。だから……」
「『警察に行かせろ、さもなければ押し通る』って? あはは、刑期なんてどうでもいい。無意味ですよ。僕はあなたに罪を償ってほしくて殺すわけじゃない。父ならきっと殺していただろうから殺すだけです」
「あなたも狂っていますよ」
「僕、ファザコンなんです」
 幸崎が威嚇のようにレシプロソーのスイッチを押し込む。刃が唸って上下に振動した。
「骨と一緒に粉々にしてあげますから」
 風間は警棒を振り下ろした。まずは得物を落とさなければと、幸崎の手を狙う。相手も意図には気づいた。警棒を避けて首元をその刃で撫でてかりとろうする。後退して避けた。もう一度警棒で小手を狙おうとすると、レシプロソーの本体で棒の先端で防御された。固い衝撃を手に感じたと同時に、レシプロソーのスイッチが押し込まれて刃が上下に小刻みに動く。
 ここぞとばかりに風間は思い切り棒を振り下ろした。地面に刃が当たりそうになったところを足で踏み、動きを封じようとする。
 だが幸崎がレシプロソーの持ち手の上を押した瞬間、カチ、と音がした。刃が持ち手から外れる。
 二人は距離をとった。幸崎は先ほど捨てたショルダーバッグの前に腰を下ろす。中身をまさぐって取り出したのは、レシプロソーの替え刃だ。
「やはり、何物にも予備は不可欠ですねえ」
 カチリと、レシプロソーに替え刃が刺さる。
「第二ラウンドといきましょうか」
 得物をふるいながら幸崎が、憐れみと嬉々とした声を折半したような口調で言う。
「父はかわいそうな人でしたよ。僕の祖父、父から見た父は厳格な人で、同性愛というものの存在を絶対に認めなかった。父には想い合っていた人がいたのに、その人との仲を許さなかったわけですね」
 何かがおかしいと感じたのはその時だった。明らかにこちらの動きに余裕で対応し、むしろそれ以上の動体視力で風間の息の根を止めようとしている。
 ──もしかして幸崎は、武道経験者か?
 一瞬よぎった考えのうちに、レシプロソーの刃が右腕の上腕をかすった。電動ノコギリ用の刃は凹凸になっていて、ナイフよりも綺麗に肉を削ぐことはできない。
 刃の当てられた部分が恐ろしい力で薙ぎ払われると、肉の裂かれる感覚がダイレクトに伝わった。
「がぁっ……」
 痛みで視界が飛んだと同時に追撃が来た。二撃目の刃をなんとか警棒で払う。なのに相手は得物を取り落としてくれない。いや、受け流しているんだろうか、衝撃を。風間は思わず左手で右上腕の傷口を押さえた。血の感触がする。
「父はその相手と駆け落ちさえしようとしていた。実際そうしたみたいです。しかし相手が先に諦めてしまって自殺してしまった。遺体を見て父はとっさに頭部を持ち去ったそうで。その頭蓋を永遠に抱え込んで、囁き返すことのない愛を唱えていると、僕にこっそり教えてくれましたよ」
 小型とはいえ相手のレシプロソーは一キロ以上もの重みがあるはずだ。戦いが長引けば疲弊するのは向こうだ。そう考えた矢先、幸崎が得物の持ち手を右手から左手にスイッチした。
「……っ!?」
 首を狙って刃が走る。膝を折ってやり過ごすと左眉の上に刃先が当たって、ピッと血が飛んだ。赤が見えて、痛みを感じるより前に、どろりとした生暖かい感触が目元に広がる。
 片目の視界が奪われると一気に形成が傾いた。刃が迫ってくる。がむしゃらに抵抗を試みるも、右腕がうまく上がらない。レシプロソーを持った筒木の手首を、空いた左手で掴む。だが血のせいで滑って手首は簡単に離れてしまった。
「あ……」
 首に刃が当たる──風間は確信した。
 レシプロソーなら相手を刺す必要すらない。刃を当てればスイッチを押し込むだけで電動で刃が上下し、生きたまま肉も血管も、骨まで裂かれ削がれて砕かれる。
 死ぬ。
 風間は目を閉じた。
 ──衝撃が来ない。
 痛みも。苦しみも。何も感じなかった。何がなんだかわからぬうちに、幸崎の声が聞こえた。
「あれ、古代さんじゃないですか」
 ハッとして風間は目を開けた。
「なっ……!」
 風間の目の前に、彼をかばうようにして膝立ちになっている背中が見えた。
 渚だ。華奢な体が風間をかばっていた。
 レシプロソーの刃はまさに渚の眼前で止まっている。
 ──なんということを!
「あはは、やっぱり古代さんと一緒にいたんじゃないですか。うそつきだなあ」
「この不毛な争いをやめてください」
 渚は凛とした声をあげた。探偵の声だった。相手を服従させる不思議な魔力を持つ、有無を言わせぬ声。
 その声が、風間の恐れていた言葉を宣言した。
「風間さんは、筒木肇を殺していません」
 幸崎の薄ら笑いが、一気に激昂に染まった。
「何をッ!」
 新しい情報を吹き込まれ、渚の眼前に振り下ろそうとしていたレシプロソーを虚空に振った。
「あはは、何を、何を言っている。今さら何を。何が本当なんだ。どれが真実だ、え?」
 風間は事態を飲み込んで、渚がいかに残酷なことをなそうとしているのかを、悟った。
 ──ぜんぶぜんぶ、赦してあげます。
 浜辺での渚の声が思い起こされた。
「渚!」
 肩に強く手をかけたのと同時に、渚の目がまっすぐに幸崎を捉えた。
「十三年前、筒木肇を殺したのは、私の父です」

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