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憧れの義妹

 我が夫は5人きょうだいで、下にひとり妹がいる。我々夫妻は中学の同級生同士なので、二つ下の義妹は私の中学の後輩にもあたる存在だ。なので今でも彼女は私にとって「義理の家族」というより「中学の後輩」という意識が強い。そしてそんな彼女は当時から、私にとって憧れの存在だった。

 私が中学三年、彼女が中学一年に上がる時。義妹(仮にYちゃんとしよう)はスラックスの制服を着て入学してきた。今ではさほど珍しくはない女子生徒のスラックス制服ではあるが、二十余年前の我が母校では恐らく初のことであっただろう。Yちゃんはそれを堂々と着こなし、入学式に現れた。

 そんな入学式から遡ること二年前。実をいうと私も、制服をスラックスにするかスカートにするかの選択を母親に委ねられていた。当時の私はボーイッシュな装いを好んでいたからに違いない。
 迷った末、私は「スカートでいいよ」と母親に伝えた。正直なところ心は踊らなかったのだが、体が大人の女性へと近付き、男子と同じように動けなくなっていることに「そろそろ潮時か」と一種の諦観からスカートを選んだのだ。小学生までの私は恐らく今でいうクエスチョニングだったのだが、中学への入学を機に性自認を(消極的にではあるが)自ら決定したとも言える。

 そんな私にとって、Yちゃんの堂々たるスラックス姿は衝撃だった。女子制服の白いブラウスに青く細いリボンを結び男子制服のスラックスを履いたYちゃんは、私が出せなかった最適解そのものの姿のように映った。

 そんなYちゃんがどのような学校生活を送ったのかは、学年が離れていることもあり私には杳として知れない。まして性自認に於いては尚更である。が、後に私の夫となる彼女の兄と私がよくつるんでいたので、それなりに交流はあった。彼女はあまり多弁なタイプではなかったが、文化祭で行う創作劇の脚本を担っていた私に劇中キャラクターのイラストを描いてくれたのをよく覚えている。中学時代の彼女は私にとってやはり憧れの存在ではあったが、同時に可愛い後輩でもあった。

 時を隔て現在。私と夫は五年ほどの同棲を経て結婚し、Yちゃんは義理の家族となった。お互いに東京住まいということもあり、時折Yちゃんを我が家に招いて食事を囲むようなこともままある。
 現在のYちゃんは常にすっぴん(そう。「未塗装顔面」ではなく、彼女にこそ「素顔でも別嬪」という言葉が相応しい)で、いつもユニセックスな和モダンの服を着こなし、手巻きタバコとマッチを欠かさず携帯している。
 手巻きタバコとマッチは「普通のタバコより割安だしライターは捨てるのが面倒だから」という理由らしいが、納得の仕上がりである。また彼女がその手と舌でもってタバコを巻くその仕草には、性別を超えた艶っぽさがあるのだ。やはり憧れずにはいられない。
 しかし彼女の装い、振る舞いは、彼女がこれまで送ってきた生き様あっての美しさだ。誰かがそれを真似しようとしても一朝一夕でコピーできるものではない。
 例えばカラオケに行った際、彼女はいの一番にマイクを手に取り歌うのは野猿の「fish fight」なのだが、令和の世にあって迷わずその挙動・選曲ができる人間がどれほどいるだろう。傾奇者すぎる。天晴れだ。私もなれるものなら彼女のようになりたかった。(「野猿」をご存知でないお若い方は各自で検索してほしい)

 二十六年前、あの制服を選ぶ時。私もスラックスを選んでいたら彼女のようになれただろうか。消極的に選んだ「女子」という性別でなく、たとえ保留でもクエスチョニングな自分を貫くだけの気概があの時にあれば、私にもまた今とは違う傾奇者な人生があったのかも知れない。

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