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魔法少女の履歴書

『揺らめく光はフルムーンの優しさ! マギルーナ!! 参上! みんなきっと大丈夫だよ! 愛があれば大丈夫!!』

 街頭のクソデカモニターに映る魔法少女たちは、今夜も大勢の人に拍手を浴びている。それを見上げて舌打ちし、煙草を灰皿へねじ込み背を向けた。こちとら愛と魔法の力じゃどうにもならない敵どもと、オールナイトでランデブーだ。

「……クソが」

 ウチはしらずしらずの内に口に出し、魔法少女たちの叫ぶ大丈夫──それを煽るロリコン社会に唾を吐いていた。

 ヒトガタの〝それ〟はある日突然現れて、世界中を一瞬で絶望の底に叩き落とした。今から二十年、いや、二十一年……? ウチが小六の時だったから……まあ、なんかそのへんだ。

 正体は今もぜんぜん分かってない。いや「ぜんぜん」ってこたないな。どっから出たかははっきりしてて、南極……ちょい待ち。北極だっけ? ちょっとよく覚えてないけど、なんか氷の中とか聞いた気がする。

 とりまその氷の中から出て来たよくわからんヒトガタの何かがバーっとこう世界中に散らばって、精神性ナントカ五型ホニャララ汚染エーロゾルっていう、まあ簡単に言うと毒ガス的なモノ? をばら撒き始めた。

 いやてか別にガス的なモノに限らず、毒薬的なモノとか爆弾的なモノとかいろいろあって、なんか全部ケツに「ゾル」ってつくからウチらは「ゾルルン」って呼んでた。今も若い子はみんな「ゾルルン」って呼んでるみたいだ。

 精神性っていうだけあって、ゾルルンは人の心をぶっ壊す。ぶっ壊された人は「ヒトガタ」に乗っ取られて、まわりの人や物をどんどんぶっ壊す。

 どこだかっつーちっちゃい島国なんかは、そのせいで国民が全滅した。さすがにヤバすぎて、ウチも小学生の時ニュース見て超震えた。

 世界中のエラい民も「全滅はクソやべーぞ」っつってマッハでゾルルンを研究しまくり、何年かでついにゾルルンを無に帰す魔法を編み出した。

 エラい民、頭よすぎ。超すごい。

 だけど魔法は、特別な遺伝子を持った十三歳から十八歳の女の子しか使えない。だから世界中で特別な女の子たちが「魔法少女」になった。

 エラい民、ロリコンすぎ。超キモい。

 そんな感じで、魔法が使える特別な女の子たち──魔法少女たちと、ゾルルンやヒトガタとの長い戦いに火蓋が切って落とされた。

 なんつっても、魔法少女は世界の運命を背負って立つヒーローだ。スポンサーがたくさんついて、女の子たちには広告付きのきらきらユメカワ衣装が着せられた。アニメの魔法少女実写版って感じだ。

 だからヒトガタ出現とゾルルン発生のニュースは、いつからかみんなにとって「事件」から「娯楽」になった。モニター越しに見る魔法少女の活躍を──中高生の女の子たちがぼろぼろになりながら『大丈夫!』と見栄を張るところを、みんな手に汗握って見守った。

 でもウチが子どもの頃に比べると、魔法もずいぶん進化してるみたいだ。ゾルルンをやっつけるのにかかる時間も、女の子たちが大きな怪我をすることも、めちゃくちゃ減ってきてる。良いことだ。

 だけど魔法は、別にウチらをお腹いっぱいにはしてくれない。炊飯器のスイッチひとつ入れちゃくれない。

「──来たね、奈々美(ななみ)。今日こそ夜会巻きにしてやるから覚悟しな」

 行きつけサロンのばあちゃんは、いつもパン屋のトングみたいに巻きゴテを鳴らしながら出迎えてくれる。

「冗談キツいわ。いつものでオネシャス!」

 そんなウチの答えで、ばあちゃんの眉間にはハの字のシワがくっきりと浮かぶのだった。

「おまえねえ……そろそろ自分の歳ってもん考えな! いつまで〝マギルーナちゃん〟になれると思ってんだい!?」

「えー? 似てるって評判っすけどねえ。揺らめく光はフルムーンの優しさ! マギッ、ルーーナ!!」

 鏡の前で、片足立ちの決めポーズ。ところがどっこい。どんなにヒールを履き慣れてても、三十路を過ぎた酒浸りにゃ荷が重い。こけた。

「……ほんとに似てたら、あんな場末のキャバクラでチーママやってねえよ」

「やかましいわ。このご時世、キャバって時点でどこも場末だろうが」

 ウチがそう言い返すと、ばあちゃんは入れ歯をモゴモゴさせながら耳の遠いふりをした。眉間のシワは「ハ」を通り越して「川」ぐらい深くなってる。

 ウチもウチで黙ったままケープに両腕を通して、あとはされるがまま。スカルプネイルで使い物にならない指先のかわりに第二関節でスマホを操作して、娘が通う中学の保護者SNSをチェックする。

 部活の道具代に、PTA会費に、参考書代に夏期講習代に修学旅行の積み立てに、に、に、に──。

「ううう……っ」

 鏡の中の老け顔〝マギルーナちゃん〟の額には、ばあちゃんに負けず劣らずの深いシワが刻まれている。

「──るうちゃん、いくつになったんだっけか」

「いたたたたた!!」

 八十過ぎのばあちゃんは、歳に見合わぬ馬鹿力でウチの眉間を左右に伸ばした。

「……十三歳。中二」

「おやおや金のかかり盛りじゃないか。うめきたくもなるってもんだ」

「うわ、他人に言われると超ムカつく。『乙女盛り♡』ぐらい言えねーのかよクソババア」

「おやまあ小汚い口をおききだね! そんなに丸刈りにされたいのかい!?」

 ばあちゃんのガイコツみたいな手が巻きゴテを置きバリカンを取ったので、ウチは慌ててそれを奪った。

 片足立ちは荷が重くても、傘寿のばあちゃんに力で勝つぐらいはまだ楽勝だ。

   *   *   *

 一人娘の月海奈(るうな)は、ウチが二十歳の時の子だ。

 誰に似たのかガサツな娘で、なんでもかんでも出したら出しっぱなし、脱いだら脱ぎっぱなし。おまけに声も動きもクソデカのデカ子ちゃんだ。まあでも、元気だからよくね?

「ただいまあ! おっなかすいたあ!!」

 今日もるうは、学校から帰ってくるなりドアをバーン! と開けて、声をギャーン! と弾ませていた。

「おかえりい。手ぇ洗ってきなー」

「りょりょりょーっ! おやつなに!?」

「シチューだよ」

「ばんごはんは!?」

「シチューかけごはんだよ」

「すっごーい! ルンルンだね!! わたし、お母さんのシチューだあいすき!!」

 蛇口全開にして手ぇ洗わないの! なんて小言が「だあいすき!!」一発でひっこむなんて、我ながらチョロいかーちゃんだ。我が子を思えば、ビシっと注意しなきゃなのは分かってるんだけど。

「るう! 手はタオルで拭く!」

 濡れた手をブルブル振るって乾かしてるのには、さすがに釘を刺した。るうは「いっけね」と舌を出して肩を竦めて見せる。歳の割には少し子どもっぽいのが、親としては可愛いやら心配やらだ。

 お察しの通りうちは母子家庭で、家計は火の車。ウチは昼職のパートと夜職をかけもちしてて、だからるうとはほとんど昼夜逆転のすれ違い生活。

 寂しい思いをさせてないか、教えなきゃいけないことをちゃんと教えてあげられてるのか。いつだって心配は尽きない。

「ねえねえお母さーん」

「んー?」

 私が〝おやつ〟のシチューを皿によそい、るうがテレビを消す。ご飯の時はテレビとスマホ禁止! 我が家のルールだ。

「トカゲってさあ、何食べるのかなあ」

「ト、トカゲ?」

 いつも学校のことや友達のことを真っ先に話してくれるるうが、ヤブから棒にそんなことを言い出した。

「なに、るう。捨てトカゲでも拾って来たの?」

 ウチが聞き返すと、るうは「いやあ」とか「えへへ〜」とか言いながらごにょごにょしていた。

「うちはダメだかんね。バレたら橋の下に引っ越しだよ。それでもいいの?」

「あっ、いや! だいじょーぶだいじょーぶ! うちじゃないから! うちではないから!」

 ってことはリリちゃんとこかミサキちゃんとこか……まあどっちにせよ、誰かしらの悲鳴がどこかの屋根の下に響いてるんだろう。そう思うと胸が痛い。

「──まあ、どんなトカゲかにもよるけど……虫じゃない? カメレオンとか、ハエ取って食べてるし」

「ハエ!? ハエかあ……」

 むむむ。とまるで自分がハエを食ったような顔をしてるうは腕を組んで唸った。

「まったく、このおてんば娘め……誰に似たんだか」

 完全にウチでしかない。ウケる。反省。

 おやつのあとは、ウチは出勤の支度。るうは宿題にとりかかる。ウチが出かけたあとはどうせ好き勝手するので、ウチが見てるところで宿題を終わらせるようにいつも言って聞かせている。

「──それじゃ、るうちゃん。お母さん行ってくるから。夜更かししないでちゃんと寝るんだよ」

「はあい! 寝る子は育つっていうもんね!」

 返事だけは、元気いっぱい百点満点だ。だけどウチはるうのかーちゃんなので、それがカラ返事なのを知ってる。

 それでもやっぱり、言って聞かせずにはいられないのだ。

「火と包丁は」

「さわらない!」

「アニメとゲームは」

「宿題のあと!」

「ピンポン鳴っても」

「返事しない!」

「何かあったら」

「電話する!」

「よろしい」

 バイト先の朝礼みたいに毎日繰り返す。今夜もこの子が無事でありますように。って、祈りながら繰り返す。

「それじゃ、行って来ます」

「うん! お母さん、お仕事がんばってね!」

「……月海奈」

「なあに?」

「絶対に、危ないことするんじゃないよ」

 少しだけ背をかがめ、玄関まで見送りに来てくれたるうの目を見てまた祈った。

 るうは、ウチに似て嘘をつくのがへたっぴだ。どうせこのあとこの娘は、リリちゃんたち魔法少女仲間とデコを引っ付けあって作戦会議としゃれ込むんだろう。

 だってウチもそうだった。自分が〝魔法少女〟であることは、誰にも言っちゃいけないことになってたから。

   *   *   *

「──っし。ありがとばあちゃん。今日も気合い入った!」

 髪をしっかり〝マギルーナちゃん〟風、もとい、戦う娘とおそろいのスジ盛りポニーテールにしてもらい、自分でケープを脱いで立ち上がる。

「ま、おまえが気に入ってんならいいや。あたしゃ今の子よりさあ、初代の子……なんてったっけね」

「幸運戦士マギハッピー?」

「そうそう! その子! あの子の方が好きだったねえ。あの子のニュース見た後パチンコ行くと、出るんだよ」

 そうだった。そういうジンクスがこの街の初代魔法少女〝マギハッピー〟にはあったんだった。

「あー。懐かしいねえ、マギハッピー。あの子、今どうしてるんだろうねえ……」

 元・魔法少女で、現・魔法少女のかーちゃんは、すっとぼけながら答える。

 私もるうと同じように十三歳で魔法少女にスカウトされて、十八歳で定年退職するまで、きっちり魔法少女・幸運戦士マギハッピーを勤め上げた。

 やってる時は、自分の肩に世界の運命がかかってるのが自慢だったし、秘密のヒーローってのもなんかかっこよくて好きだった。可愛い服で〝変身〟もできるし、同期のマキとルルは親友になった。

 魔法少女になるには特別な遺伝子が必要なんだけど、それは滅多に遺伝するものじゃないらしい。ところがどっこいなんの因果か、るうにはウチから直でそれがいってしまった。

 魔法少女は魔法少女を嗅ぎ分ける。それはウチら母娘にとっていいことなのか悪いことなのか、最初は分からなかった。

 けど今は、絶対に絶対に、このアドバンテージを生かしてみせるって決めてる。

 るうは世界を守る。ウチはるうを守る。

 ウチはるうにご飯を食べさせて、るうの服を洗濯して、勉強させて、友達とたくさんと遊ばせて、絶対にウチみたいにはさせない。

 るうが生まれて来てくれてよかった。だけどウチの人生も、魔法少女も、どっちもクソだ。

 なんであんなに可愛い子たちが、幼い女の子たちが、ボロボロになって愛だのなんだの振り撒かなくちゃならないんだ。

 こんなの絶対間違ってる。あの子たちの肩に世界なんか背負わせちゃいけない。いつかきっと、こんな馬鹿げた〝魔法〟なんかぶっ壊してやる。

 るうが学校に履いてってる茶色いローファーは、ちょっと小さくなってきたみたいだった。

 季節も学年も変わって、これからどんどん買い替えなきゃならない物が増える。まさに金のかかり盛り。私も働き盛りではあるけど、最近は二十代の頃よりぐっと飲める量が減って来た。

 それでも無邪気なあの子たちが、魔法少女たちが、愛は無敵と叫んでいる内は──それがあの子の信じる〝夢〟と〝愛〟なら。

『絶対大丈夫! わたしたちは負けない! だから、みんなも負けないで!!』

 サロンでメイクと着替えまで終え、早足で店に向かう。街頭のクソデカモニターに映る魔法少女たちは、やっぱり大勢の人から拍手を浴びている。

「キラキラひかる、ラッキーナンバーななつ星! 幸運戦士っ! マギッ、ハッピーーーー!!」

 道のど真ん中で対抗するように叫んで片足のポーズを決め、こける。

 バチクソ格好悪いが、ウチにしか守れないものがあるから、ウチはヒーローをやめないのだ。

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