終えるアイドル ② ~ ピンクレディー ~

シングル セールス 【 発売順 】

#ペッパー警部【 1977年 14位 】 60.5万枚

#S_O_S【 1977年 8位 】 65.4万枚

#カルメン_77【 1977年 7位 】66.3万枚

#渚のシンドバッド【 1977年 1位 】100.0万枚

#ウォンテッド【 1977年 3位 】120.1万枚

#UFO【 1978年 1位 】 155.4万枚

#サウスポー【 1978年 2位 】 146.0万枚

#モンスター【 1978年 3位 】 110.2万枚

#透明人間【 1978年 6位 】 88.6万枚

#カメレオン_アーミー【 1979年 10位 】 70.8万枚


・ UFO で レコード大賞 受賞

・ 5作連続 ミリオン 達成

・ 1977年、1978年 年間トップ 獲得

アーティスト セールス


1977年 年間1位

1978年 年間1位

1979年 年間8位


アルバム セールス


1978年 『 #ベスト_ヒット_アルバム 』1位

95万枚の 売上

怒濤の ロケットスタート 🚀

もはや 下手な説明は 不要である。

フォークデュオ で デビューする意向を 大きく裏切り、大胆な衣装で 肌を露出、セクシーな ダンス、斬新な振り付けだった ピンクレディー。

ターゲットは 若い男性に 留まらず、 子供らまで 波及し キャラクターグッズまでもが 売れて 社会現象に なった。


プロフィール


所属事務所 T&C ミュージック

レコード会社 ビクター

1976年 デビュー


誤る 選択

ライバルと 言われた #キャンディーズ も 解散し チャンス到来、独走を 決めるかと 思いきや、紅白歌合戦を 辞退する。

また 活動の拠点を アメリカに 移すなど、天下を取った日本を 飛び越えて行こうとするが 結果は 満足いく 内容ではなかった。

キャンディーズの解散は、実は ピンクレディーに とって ピンチ だったのだ。

キャンディーズは 元々 活動の期間は 田中好子が成人になる 3年後と 決めていたそうだ。

しかし なかなか 思い通りに 行かず 飛び出した 解散宣言。

ピンクレディー は 解散ありきで 活動は していなかったのだろう。

しかし テッペンを 取ってしまった。

しかも 2年に 渡って。

そして アイドルが 不利な、アルバムの ランキング までも ベスト盤で 売れてしまった。

破竹の勢いの あとには 下り坂が 待っていた。


時代の終焉

アイドルが 終わるとき、

結婚、スキャンダル、ライバルの出現、引退らが 考えられる。

ピンクレディー に 限っては、彼女らだけに 落ち度が あったわけでなく、1979年は 70年代末 なのか、ニューミュージックや 演歌らが ランキングに 台頭してくる。

#ゴダイゴ

#松山千春

#西城秀樹

#ツイスト

#さだまさし

らだ。

ピンクレディーは 女性アイドルで まだ 健在だったが 全体で 見ると 8位。

久しく 続いた 女性アイドルの 時代は 静かに 幕を 降ろすのであった。


そして 解散

キャンディーズに 遅れること 3年、1981年に解散コンサートを 開くが 時代は 80年代。

#松田聖子 はじめ、フレッシュな アイドルらが、デビューして 地に足を固める段階に 入っており、観客は 満席には ならなかった。


まとめ

売れに 売れた ピンクレディー。

売れなくなったのであれば 意表をついて フォークや バラードを 歌っても 良かったのかもしれない。

ピンクレディーは、ダイジェストや メドレー では もったいないので、次回で 軌跡を まとめます。


最後まで お読みいただき
ありがとう ございました ⚾



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