見出し画像

#29 何かが少しでもずれてたら、逝ってたかも……

何かが少しでもずれていたら、逝ってたかも……。

程度の差こそあれ、誰でもこのような体験のひとつやふたつあるだろう。
わたしの中でもそのような体験はいくつかあり、そのどれもが幼少期であるにも関わらず、記憶が色濃く残っていたりするのが不思議だなぁと思っているのだが、
「なぜ、他の記憶よりも残っているのだろうか……」
と考えると、おおむね、ぼんやりと空想にふけって生きていた幼少期(今もほぼ変わらないが)のわたしの、のんびりと穏やかに過ぎゆく日常の中で、やはりそれらの一瞬は、特別な時間だったからではないか、という思考に辿り着く。

日常からかけ離れた短い時間の中で垣間見た、生命の危機。
「わぁっ!」
とか
「え~~~っ!」
という驚きとともに、スリリングな展開の中で過敏に尖った神経が、その特別な瞬間の映像を瞬間冷凍のように記憶の中に刻み付けた上に、「あ~怖かった」とか、「あれって、何だったんだろう……」などと、何度も思い出すせいで、いつも浅い場所に記憶として残り、時を経ても容易に思い出せる、ということなのかもしれない。

その記憶をここに。

【階段編】
休日になると家族でよく出かけていたデパートの階段、おそらく20~30段以上はあったであろう大階段の途中段から一番下まで転がり落ちたのは、4~5歳くらいの頃だろうか。
傍には姉がいて、階段の下には父がいた。
母もたぶん近くにいたと思う。

どのように足を踏み外したのかは分からない。
気づいた時には、ゴロンゴロンと、大階段を転がっていたのだ。
赤い階段が近づき、遠のくと同時に天井の電気の光が目に映り、赤、光、赤、光と交互に視界が埋まる。
その繰り返しの中で、何が起きているのかな……と、わたしはぼんやりと思いながら、転がり落ちる流れに身を任せていた。
身を任せるというか、抗う、ということができなかったのだと思う。

なんで、わたしはいま、こんなおもしろい状況になっているのだろう……。
もう、仕方ないよね。
落ちるとこまで落ちるんだよね。

そんな思いが、なんとなく浮かんだような気がしないでもないし、それは、残った記憶を思いだすごとに、「当時、わたしはこう思っていただろうな」と、わたしが勝手にその映像に付着させたものかもしれない。

けれど、これだけは確かな記憶としてあるのだが、階段から転がり落ちているときのわたしは、笑っていたような気がするのだ。
周囲では、悲鳴が上がっているような状況で、当の本人は笑いながら、盛大に階段を転がり落ちてゆく。
そんな映像は、想像するだけでもシュールで、いまも思い出す度に笑える。

流れが止まったところは、階段の一番下。
慌てて駆け寄ってきた両親のどちらかに抱きかかえられたとき、身体に痛みを感じることはなかった。
それでも、なんとく泣いた方がいいような空気を察して、わたしは、抱かれた誰かの腕の中でしくしくと泣いたようにも思うし、泣かなかったような気もする。
曖昧だが、追及する意味は、もうない。
半面、その晩、お風呂に入る際に裸になったときに、おへその横に赤い二本線が浮かんでいたことだけは、くっきりと覚えている。

わたしは、階段に並行して横になったままの転がり落ちたので、運よく、頭を強打することもなかったのだけれど、おそらくその過程で、お腹のあたりに、ぎゅっと押し付けられた階段の滑り止めが跡に残ったのだろう。

そのような記憶があるからだろうか、映画『蒲田行進曲』の階段落ちシーンを見たり、お笑い番組でそのシーンのオマージュコントを見る度に、
「ああ、いつかのわたしみたいだわ……」
と思いながら、もう消えてしまった、おへその横に浮かんだ赤い二本線の記憶が蘇り、皆がギョッとしている中で、たぶん、半笑いで転がり落ちていたであろう当時のわたしを想像して、周囲との温度差に可笑しさがこみあげてくるのだ。

【海編】

夏の海。
階段落ちよりも、もう少し小さかった頃の話。
わたしは、親戚のおじちゃんと2人で、ゴムボートに乗っていた。
黄色くて、青い線の入ったやつに、浮き輪もヘルパーもつけずに。

おじちゃんには、わたしよりもうんと大きい男の子がいたけれど、女の子はおらず、そのせいもあってか、わたしをとても可愛がり、どこへいくにも連れて歩いた。
だからその日も、誘われるままに、2人きりでゴムボートに乗り込み、おじちゃんの漕ぐオールの勢いに比例して、ぐんぐん沖へ向かっていくことを、わたしは単純に喜んでいたのだと思う。

怖くはなかった。
海が怖いものだなんて、まだ、知らなかったし。
そして、海には波というものがあって、時折、想定していたものより大きな波がきたりもするなんてことも、知る由もなかった。

だから、乗っていた黄色いボートが大きく傾いて、傾いた上に風がさらにボートを押して、海面に対してボートがゆっくりと立ち上がってゆくのを、わたしはなすすべもなく、ただぼんやりと見ていた。
そして、見ているうちに、気づけば海に投げ出され、泳げないわたしは、そのまま、下へ下へと落ちていったのだ。

海の中は泡がいっぱいだった。
無数の泡と、海の上の方に見える淡い光。
それだけがわたしの視界にあった。

苦しかったのかどうかは、覚えていない。
ただ、たくさんの泡が、光の方へ上がっていくように、わたしも光の方へ行きたかった。
けれど、どうやって行っていいかも分からず、ただ身体が重く、時がひどくゆったりと流れていたような記憶がある。

水中に長くいたら死んでしまう。
そんなことすら、わたしは知らなかった。

海の中に居る時間に比例して、死は近くなる。
ボートで共に海に投げ出されたおじちゃんも、ことを察して駆けつた父も、きっと青ざめ、時が止まったような時間の中で、わたしを必死に探したのだろう。

大きくなって、その時の様子を想像すると、泣きたくなる。
ぷかりと浮き上がらずに、2人の大人を心配させてしまったわたしの未熟さに、泣けてくるのだ。

父曰く、「もうダメか……」と思ったときに、海面に浮上したわたしの両足を父が引っ張り上げたことで事なきを得たが、その時のおじちゃんや父の心境を思うと、心拍があがる。

小さな棺を前にして泣き崩れる大人たちを、生み出さずに済んだ幸運を、ありがたくも思うし、誰かに守られていたのだろうな、という感慨に触れることもできる。

なのにだ。『鎌田行進曲』で当時の階段落ちを連想するように、『犬神家の一族』という映画の、あの有名な水面から突き出た二本の足の画像を見る度に、
「あ、あれ、あのときのわたしみたい(なんだろうな)……」
と不謹慎ながら、わたしは、毎度少しばかり笑うのだ。

前作からのもらいワード……「死」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?