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「風の時代」の音楽~M-AGEリユニオンによせて~


2020年末頃から「風の時代」に突入するという話題は既に周知のことと思う。

ちなみに私は6月10日生まれの双子座で風属性の人間。
風向きの変化で生きやすくなるのだろうか、どんな変化が起こるのか楽しみにしていたところ、これはという具体的な存在が現れた。

あるバンドの再結成だ。

M-AGE

2020年1月21日、突如としてTwitterのTLに浮上したその文字に歓喜。

2021年2月10日、30周年ベストアルバムがリリースされた。

(トレーラー)


私が中学生の頃、極めて中2的な理由で好きになった初めてのバンド。

(記事「風穴」参照)

これ以降、邦楽ロックに傾倒し、バンドシーンを眺めてきた。
様々なバンドに触れたが、自分の好みが固まるというより、個性と創造性に富んだバンドを好きになるということがわかってきた。

14歳の時、好きになった音楽の好みは変わらないというが、まさしくその通りだった。
その後好きになったバンドに共通項を見いだすようになったのは、30代に差し掛かってからだった。

ある日、記憶を呼び覚ます出来事が起きた。
Twitterのアカウントをある方がフォローして下さった。
アカウント名にDJとあったので音楽関連の方ならフォロバしてもいいかと思い、プロフィールを読んでみると、

DJ PEAH ex.M-AGE

その名を見て驚愕し脊髄反射的にフォロバ、バンドのファンであった内容をしたためたお礼のDMを送った。即、お返事頂いてものすごく嬉しかった。なんという偶然だろうか。
私のアカウントは、一切M-AGEに触れてはいなかった。
どうしてフォローして下さったのか。多分、プロフィールの趣味趣向で判断されたのだろう。
その時、TwitterひいてはSNSの素晴らしさとプロフィールの重要性を噛みしめたのだ。
SNSは風の時代のキーワード。
もう既に、風は吹いていた。

それからというもの、再び私はM-AGEを意識するようになった。自身の音楽遍歴すべての始まりだったと気づいた。特に私が20代に入りはまった同世代のバンドWINOや、今も愛して止まないHi-5に続く流れの源流。

実を言うと、過去作品は全て手元にない。
事前に行われた好きな曲アンケートも記憶が曖昧で参加を見合わせた。
例を挙げる。

■シングルのカップリングでミドルテンポの曲。歌詞に「孤独のrescue me」というフレーズ→「VISITOR」


■自暴自棄なイメージにも取れるノリの良さ、「give me your love」というフレーズのリフレイン→「Enough of This」

■「last temptation」タイトルだけ覚えていて、曲調は覚えてない。歌詞の内容は意味深

今回、実際にアルバムを手にするまでは、久しぶりに楽曲を聴いて若気の至りに感じるというか、あまり響いてこないのではないかと心配だったが、杞憂だった。

初見のライブ映像に衝撃を受けた。
当時これを目にしていたら、もう少しライブハウスへの目覚めが早かったかも知れない。
今まで色んなバンドのライブを経験したが、その中でも圧倒的なステージだった。ジェンダーレスな雰囲気をまとうvo.KOICHIRO氏のパフォーマンスにも魅了された。

風の如く、不安を払拭した。
そこには、風の時代のキーワードとして挙げられる要素が散りばめられていた。

ボーダーレス。
創造、知性。情報伝達。言葉。科学技術。

音にはジャンルを軽々と越えた柔軟さがうかがえる。
彼らの曲解説でたびたび語られるのは、今の技術では容易に出来る曲構成を、当時の限られた技術で構築していたことだ。
実現には遠い表現を、豊富なアイデアで結実させたこと。
技術の限界を創造性で補い、作品を完成させている。

歌詞についても同様。
当時、歌詞については深く追求しなかった。ただ、不快な表現が全くなかったことに安心して聴いていた。自分の繊細な性質上、歌詞の言葉選びには敏感だった。多感な時期でなおさら潔癖だったと思う。

歌詞カードを読みながら聴いてみると、そのワードセンスがするりと入り込んでくる。今聴いても恥ずかしくないどころか、素直に受け入れている。
テーマは普遍的であり、程よいのだ。
ストレート過ぎることもない。難解な言葉も奇をてらう尖った表現もない。かといって耳触りのよい美辞麗句を並べているわけではない。
言葉遣いは極めて易しく、暗喩も含め敢えて焦点をぼかして、オブラートに包んでいても真理を突いたようで、想像力を掻き立てる。
曲あっての歌詞で、楽曲と調和が取れている。

公式サイトのメンバーによる解説にて

somedayと同じくホテルの部屋で歌詞を書いた。この曲辺りから自分が書きたい歌詞の方向性が見えてきた思い入れの深い曲。
86年にチェルノブイリ原発の事故があり次に古い原発が東海原発だって事実に突き動かされるように歌詞を書いた。原発をモチーフに歌詞は書いてるけど、それはあくまでも時代背景であって、そこに自分を投影した内容になってます。重いテーマの歌詞は誤解を招きかねないと思い、当時は歌詞についての説明は控えていたし、捉え方は聞く人が決めればいいと思って書いてました。でも今は遠い昔の話。歌詞について覚えてる範囲で色々書いていこうと思います。
で結果的に、この曲はアレンジと歌詞のテーマが見事に合致した作品に仕上がったと思う。

引用元:M-AGE OFFICIAL SITE「TALK ABOUT…LAST TEMPTATION」より

「last temptation」では、vo.KOICHIRO氏の言葉に「歌詞の捉え方は聴き手に任せる」といった記述があるが、このような考え方の持ち主である作詞者の歌詞に納得だった。

歌詞の特徴として、まず主語が省かれている。情景描写に自己投影する表現が多い。自分の行動や感情を優先している歌詞に比べて、聴き手からすると非常にイマジネーティブでこちらも見えるのである。この書き方は視覚優位者の表現に思う。かく言う私も視覚優位型ゆえ相性がいい。

「風」にまつわる表現自体も多い。

新曲「BIRD CAGE」は、現在のコロナ禍がテーマである。


彼ら以外にもこの全世界共通のテーマをもとに作成された楽曲は見受けられちらほら耳にしている。
その中で彼らは籠の鳥をモチーフに描いた。
開放、自由への渇望を表し、空を見上げ希望を見出だすようなイメージ。
この風の時代の言葉にふさわしい表現ではないだろうか。

何故、私は30年前の中学時代にこのようなバンドと運命的な出会いを果たしたのだろう。
当時は運命的だとは思いもしなかった。
将来、自分がどんなバンドを聴くことになるのか想像もしなかった。
30年を経て復活した今、様々な要因と偶然が重なり合ってのことだろうと思う。

私自身が風の性質を持ち、既存のものにとらわれない傾向であること。

彼らの表現力、発信力が時代の良さも相まってプロモーションに成功していたこと。

現在、彼らの創造性にテクノロジーが追い付いたこと。

ネットワークが発展し、知らない間柄でも繋がりを持つことが可能になったこと。

挙げればキリがないが、現時点では全てが天のお導き、地球上の人間は星の動きには抗えないのだろうかとまで大袈裟に捉えている。

風の人間が故に、こうした思考に結びつくのか?

風のみが知る理であるに違いない。


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