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「また会いたいね」が現実になるまで

若い頃に地元から離れてしまったため、学生時代に仲の良かった友達とのつながりが、だんだんと途切れてしまった。
物理的な距離もそうだけど、私が自分から誘うことができない性格なため、自然と関係が消滅してしまうのは、何にしても時間の問題だったと思う。

私が学生の頃は、もちろんSNSなんてものはなく、卒業アルバムの最後のページに、みんなの住所が載っているような時代だ。
連絡を取り合うときは電話か手紙が主流で、自分から誘うことができないうちに、少しずつ会うまでの間隔が長くなり、いつの間にか疎遠になっていた。

携帯電話が壊れ、すべての連絡先が消えてしまったとき、これまで作ってきた数少ない人脈も、全てが切れてしまったように感じた。
その年の年賀状には、データが全て消えてしまったことを書き、そしてメルアドを書き添えた。

それからも淡々と日々を過ごし、私自身、自分のことすらままならぬほどに忙しい時間を過ごしていたため、学生時代の友人とのやりとりは、年賀状のみとなっていた。

「また会いたいね」

私が年賀状によく書く言葉。
そして友達の年賀状にもよく書かれている言葉。

自分に自信がない私は、「また会いたいね」の一言が社交辞令にしか思えなくて、今さら私なんかに会いたい人なんていないだろうと思っていた。

歳を重ねるごとに年賀状のつながりを整理しはじめ、こちらからしか送っていない人には年賀状を送ることをやめ、そんなことを数年続けていくうちに、だいぶ年賀状を出す枚数が減ってきた。
このまま年賀状自体をやめたいけれど、年賀状を送ることをやめたら「また会いたいね」のやりとりすら失ってしまう。

毎年届く年賀状で、友人の元気な姿を想像することができた。
そのやりとりすらなくなったら、完全に縁が切れてしまうような気がして怖かった。

そんなことを思っていたとき、十年以上会っていない友人の一人からメールが届いた。
毎年年賀状に書いていたメルアドも、ここ数年は書かなくなっていた。
つまり彼女は、どこかのタイミングで私のメルアドをメモしていてくれたということだ。

とても、とても嬉しかった。
こうしてまた再びつながることができて、勇気を出してくれた彼女に対して感謝の気持ちでいっぱいになった。

その頃から私の中で、高校のときに仲が良かった友達と、もう一度つながりたいという想いが生まれた。
その彼女は、とてもふんわりと柔らかいオーラをまとっている子で、一緒にいると楽しくて、安心できて、大好きだった。
地元を離れてから数回会ったし、手紙のやりとりもしていたけれど、いつの間にか関係が途切れ、気づけば十年以上の時間が過ぎていた。

何度か、手紙を書いてみようと思ったことがあった。
けれど、自分が大嫌いで自己肯定感が低い私は、突然手紙を出しても相手に迷惑がかかるのでは、と考えてしまい、結局何も行動を起こせずにいた。

ここ最近、自分のやりたいことを少しずつ叶えるということを頑張っていて、その「やりたいこと」の中に、「高校の友達に手紙を出す」があった。

一人で行きたい場所に行く。
好きなものを買う。
夢に向かって頑張ってみる。
こんな感じの、一人で完結する願いは少しずつ叶えることができるようになってきた。
けれど、「高校の友達に手紙を出す」という願いは、自分だけでなく相手を巻き込む。
怖い。

「やりたい」よりも「怖い」が勝る。

怖い、怖い、怖い。
手紙を送ってみようと勇気を出しても、すぐに怖くなってその勇気がしぼんでしまう。
何がこんなに怖いんだろう。

そう考えたときに、私は大好きな友人を、自分から近づくことにより完全に失うことが怖いのだと気付いた。
大好きな友達に、私の存在を拒絶されたら。
そう考えただけで足がすくんでしまう。

そんな葛藤を自分の中で何度も繰り返していたある日、私は気付いた。

私が何も行動を起こさなければ、その友人との関係は何も変わらず、このまま自然消滅するだろう。
年賀状のやりとりも、そのうち途絶えてしまうだろう。
でも、私が手紙を出せば、もしかしたら会える未来があるかもしれない。

でも、手紙の返事が来なかったら?
もしくは拒絶されたら?

そうだとしても、その友人と会っていない、今の状況と何も変わらない。
でも、手紙を出せば会える可能性は少なくとも出てくる。

よし!!!
私は手紙を書いた。
書いているときは、会えるかもしれない、という思いでわくわくした。
けれど書き終わって封をして、切手を貼ったら……

この手紙を出したら、私の未来が変わる。
そう思ったらまた怖くなってしまった。
私の頭の中には、常にネガティブな想いがぐるぐるする。

私の勇気を最後に後押ししたのは、メールをくれた友人だった。
彼女からメールが来た時、私はとても、とても嬉しかった。

だから大丈夫、きっと大丈夫。
そう信じて、私は手紙をポストに投函した。


結果。
彼女とメールのやりとりをするようになって、あっという間のスピードで「会おう!」ってことになり!
先日、約20年ぶりに会ってきました!

うまく話せるかな。
何を話そうかな。

会うまでは緊張でいっぱいだったけど、彼女の変わらない笑顔を見た瞬間涙が溢れてしまって、彼女も一緒に泣いてしまって。
こんなに長い時間会っていなかったのに、そんなことなんて嘘みたいに、会った瞬間たくさん言葉が溢れてきて、ごはんを食べながら、お茶をしながら、延々話し続けた。

高校のときの友達って凄いな。
あの頃のまま、話すことができる。
お互い歳をとって、全然違う人生を歩んできているのに、空気感があの頃と同じで。あの頃のままで。
本当に、本当に楽しかった。

勇気を出して手紙を書いてよかった。
私は大切な宝物を取り戻した。
一日では語り尽くせなかった長い空白の時間を、これから埋めていこうと思う。

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