見出し画像

作り手側の意識と、人目に触れることの大切さ

最近、面白いドラマとかアニメに出会うと、作り手側の視線で観るようになりました。
小説を書くようになってから、自然とこうなってしまいました。
以前は純粋に楽しみ、驚き、観終われば「面白かったー」で終わってたけれど、最近はその原作者とか脚本家、音楽など、制作に関わっている人を積極的に調べるようになりました。

で、好きなドラマやアニメに関わっている人たちって、意外とかぶってることが多いことに今更ながら気付くのです。

視聴しながら、伏線の張り方とか、お話の構成とか、状況説明を登場人物に語らせずに映像で伝える方法とか、なんかそんな技を見つけるたびに「ここにつながるのか!」とか「こういう魅せ方があるのか!」と一人で感動してます。

自分で小説を書くようになる前と後で、ドラマやアニメの観方があきらかに変わってます。
小説を読んでいても、以前はストーリーを追うだけだったけれど、こういう書き方、表現方法があるのか、とか、やっぱり書く側の意識で読んでいると思います。

吸収できればいいんですけどね。
私の場合、感動するだけで終わっちゃいそうで。

それから、人目に触れることの大切さ。
今でこそとっても有名な「クドカン」の愛称で知られる宮藤官九郎さんが、まだ名前を知られていない頃に脚本を書いた深夜ドラマ。それがあまり視聴率をとれず、ひっそりと終わっていたという事実を知り、そんなことを思いました。

もちろんその脚本は「この人天才!」って思うくらい(実際天才なわけだけど)見事なもの。
それでも深夜枠という、あまり人目に触れないところでは、せっかく才能があってもひっそり知られずに終わってしまう。

こんなに面白い脚本なのに、どうして視聴率悪いのかしら、と、ゴールデンタイムのドラマの脚本を書いてもらったら、それが大人気になり、その後「クドカン」の名が世に知られるようになったそうで。

まぁ、才能がなければゴールデンタイムに抜擢とかもされないわけですから、まずは才能ありき、なんですけど、でも何かしら物を作る側としては、一人でも多くの人の目に触れることが大切なんだなぁと改めて思うのでした。

で……

でですよ……

人目に触れるのが苦手で、ほんのちょっとツイートがプチバズっただけで、心臓バクバクしちゃうような蚤の心臓の私。一体なんで小説とか書いてるんだろうと自分で自分がわからなくなったり。

今でこそ、時々自著の宣伝とかできるようになりましたけど、初めてKDPで小説を出版した頃は、ツイッターでつぶやくことすらできなかったんです。恥ずかしくて。

凄く良い作品に出会うと「こんな作品、私も作りたい!」と思うし、何かしら作り上げるのが大好きなので、これからも作り続けると思うし、作るからには人に見てもらいたいと思っているし、それに対してリアクションが来たら飛びあがるくらいに嬉しいのですが、なんでしょう……作品は有名になってほしいけど、自分自身は隠れていたい感じ。

なので、私はこれまでもこれからも、セルフパブリッシング界の盲点に君臨することを目標に、頑張っていきたいと思います!(←?)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?