「い」の巻 ~一期一会~

こんにちは。助産師 大久保です。今回は「い」の巻。

テーマを「一期一会」としました。

「一期一会」とは… 一生に一度だけの機会。生涯に一度限りであること。生涯に一回しかないと考えてそのことに専念する意。もと茶道の心得を表した語で、どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきことを言う。(三省堂 新明解四字熟語辞典より)

もともと末っ子の甘えん坊だった私は、とにかくたくさんの人とかかわりたいと思う気持ちが強かったように思います。子供の時から「友達100人つくる」を本気で頑張っていました。転校を重ね、進学で地元を離れて、就職でさらに居所を移しましたが、友人と離れることがさみしいと思ったことはあまりありませんでした。思えば、環境の変化はもっと多くの方とかかわるチャンスであり、距離にかかわらず「会おうと思えばいつでも会える」と信じていたからかもしれません。

助産師として働き始めてまだ2年目のころ、忘れられない出会いがありました。その方の言葉がいま、今の自分につながるきっかけであったと思います。

その方は、妊娠中期でおなかの中の赤ちゃんが亡くなってしまい、入院されている方でした。赤ちゃんを産み終え、翌日が退院という日の夜、私が担当になりました。

夜のラウンドで訪室すると、彼女はベッドの上でぼんやりとしていました。「眠れないんです。明日、赤ちゃんを火葬場に連れて行ったら、何もなくなってしまう」

涙なく、そう語る彼女に、悲しいのですね?と問いかけました。私は、赤ちゃんが亡くなったことで、その喪失感で悲しがっていると考えていました。

「悲しい…そうなのかもしれません。でも…、まだ私のおなかの中にいた実感が消えていません。だから、まだよくわからない

夫は、『もう忘れよう、明日見送ったら、前を向こう。次の子供のことを考えよう』って言いました。私もそうね、って言いました。そうしたら、涙が出なくなりました。夫は忘れようといった、私もそれでいいと思いました。でも、夫が帰宅して一人になったら、本当にそれでいいのかわからなくなりました。」

わたしも、悲しみから立ち直ること、前を向くことが大事だと思っていましたので、その時彼女が何を言いたいのか、実際のところよくわかりませんでした。

それからしばらく、彼女は妊娠がわかったときのこと、赤ちゃんのために気を付けてきたことや、赤ちゃんの名前、健診でエコーにうつる赤ちゃんを見た時のことなど、それまで過ごされた時間のことを話されました。そして、そののちにぽつりとおっしゃいました。

「わたし、赤ちゃんのことを覚えていてもいいんでしょうか。」

ああ、本当は忘れたくないんだ。前を向くために忘れなくちゃいけないって、どうして思っていたんだろう。赤ちゃんがおなかに宿っていたことは、彼女に何も負の影響を残していないではないか。忘れるということは、赤ちゃんをいつくしんだ心までもなかったことにしてしまう事なのではないか。

思わず

「覚えていて、いいと思います。その気持ち、大切になさっていいと、私は思います。」

と言いました。

彼女は

「誰かに言ってほしかった。覚えていていいよって言ってほしかったんです。忘れてしまったら、この子はいなかったことになってしまう。私だけは覚えていたい。でも夫には言えなくて…」

泣きながら、少しほっとした表情でそうおっしゃいました。


生きていく中で、人にはターニングポイントがあり、その人の必要なタイミングで必要な出会いがあり、必要な言葉があります。出会いは用意されているかもしれないけれど、それに気づけるか否かはその人自身のアンテナの向きによります。

それ以降、彼女に出会う機会はありませんでしたが、あの夜の彼女の言葉は、私の心の中に種をまきました。

『こころに寄り添える存在でありたい。思いを否定しないでいられる存在でありたい。そして、自分自身の心も否定しないで生きていきたい。』

相手に寄り添う子育て支援をしたい、の出発点でした。そして、制約の中では自分らしさが出せない!と踏ん切りをつけるための第一歩でした。その夜をきっかけに、相手目線の子育て支援を目指して、まだまだ歩みの途中です。

人と人との出会いは、偶然ではなく用意された「必然」です。必ずそこには場が用意した意味があります。出会いを「一期一会」にできるか否かはその時の自分次第。その時々、精一杯の気持ちで向き合っていきたいですね。


次回は「う」の巻。 お楽しみに~。



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