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ヒトシオ

私を下の名前で呼ぶ人は珍しい。中学生の頃に「組長」というあだ名をつけられてから、そのインパクトと、私という人間の説明の省略に役立ちすぎるという意味での便利さがあって、色々な人に「組長」から派生した名前を呼んでもらっている。

なんでそんな名前がついたのか実は定かではない。クラスメイトの誰かが私の不遜で偉そうで動じない、そういうところを見抜いて「番長」とつけたのがなにかの「おさ」っぽさの始まりだった気がする。番長はさすがに、ちょっと、と思ってやんわりと抵抗をした。番長にはもっと、もみあげが要る。フランベをするにはコック帽が必要だし、番長を名乗るにはもみあげが要る。そういうことだ。

そもそもだ。なにかに所属する度に私はいつも仲間外れで、劇団にいた頃はみんなの「お母さん」、中学に上がれば「組長」、大学では「子持ち」の噂が流れた。会社では同期に「姐さん」と呼ばれる。

そんな風に呼ばれる度に、誰もが、誰ひとりとして、私を対等な立場に置くのを許してくれていないような心持ちになる。そうしてもらえるように振る舞うのなんて簡単なのだけれどあいにく、私はみんなと同じようにおろおろして、上目遣いで人の話を聞くようにはできていない。できることをしないのは怠慢で、私が集団の中でするべきことをしないのはズルい。こういう頑なな態度と平行して、そんな風に生きるのにももう、ほとんどギリギリの間際まで倦んでいた。「もうたくさんだ」という言葉が毎日喉仏の辺りに引っ掛かっていて、手洗いうがいの励行の度に、ぴろぴろ引っ掛かってきて邪魔くさいから仕方なく飲み込んでいる。

人様をうらやましいだなんて一度たりとも思ったことがなかったのに、このぴろぴろのせいで、あだ名がない人のことをうらやむようになった。華奢で自信がなくてパステルカラーの服が似合う人のこともすこしうらやましい。紅白歌合戦みたいだ。生きてきたただそれだけのことが「苦節」に変わる。貧しいときもあったけれど、楽しく歌を歌ってきただろうアーティストが紅白歌合戦で涙を浮かべると、今までの人生が苦節として報われてしまう。紅白歌合戦に出なければ報われもしないし生きることに徹していられる。うらやましいのも、報われるのも大嫌いだ。

そんな忌々しいぴろぴろを一年近く携えていたのに、去年、好きになった新しい趣味の舞台をみてそうじゃないかもしれない、と思った。この人たちは、報われるとか報われないとか、ダサいとか格好いいとか、今までの人生とかこれからのこととか、考えてない。考えないことは悪いことでできることを衒いなく自然にして周りの人に認められてひととひととのつながりを、そういう連綿としたものがなにもなくてそこには、来た球を打ち返すみたいな一瞬しかなくて、苦節も報いもなにもないように感じた。私の中のうらやましいがかっ飛んだ瞬間だった。口の中で舌が宙ぶらりんになって、せりあがってきたぴろぴろがピタゴラスイッチの達磨落としみたいにすこーん、と平行にどっかに飛んでく。清々しいじゃあないの。よくやってくれた。

その程度で私の生活は変わったわけではなかったけれど、端からみたらどうやら変わったらしくって、ぴろぴろが無くなったことで私はつまらなくなったとなじられもした。今までだったらそれを恨んでみじん切りにしてこころゆくまで堪能しただろうが、達磨落としは今日もいろんなものをすこーん、とどっかにかっ飛ばしてくれる。

私のことをいろんな風に呼ぶ人がいて良いし、私は紅白歌合戦に出なくて良いし、集団の中でいつも張り切り過ぎてしまったとしても良い。すこーん、すこーん、と打ち返すのが忙しくって、楽しくて、それどころじゃない。できることをしないのは怠慢じゃない。できることがあるのが今楽しい。そう振る舞うのが板に付く頃、私は下の名前で呼ばれることがくすぐったくならなくなる気がする。

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