還っていく世界
ここ数週間、九州の入江の村で、90歳を越す一人暮らしの祖母の介護をしながらリモートで仕事をしている。この村は50数年前までは車ではアクセスできず、海が荒れて船の出せない冬などは「うさぎ道」と祖母が形容する道なき道を伝って山を徒歩で超えていかなければ駅のある場所へは出られなかったそう。
でもその頃はセメントの採石産業や沖合にある鮪漁の島などとの行き来で村は栄えていて、海に落ち込む山肌に張り付いたような村落に何百という住民が溢れかえり、階段と路地ばかりで車両の入れない村内は、交通音もなく子供の声や鶏や犬の声で年中騒々しく活気があったと祖母は音の記憶を語る。旅芝居が巡ってきたり移動野外映画が校庭にやってきたり、さらに月に一度は祭りか年中行事があってご馳走づくりに精を出し、とても楽しかったようだ。
こんな地方の端っこまで「経済」のある時代があった。
子供時代の私はこの九州の祖母の家を訪ねるのが一年で一番の楽しみで、その頃は村落の往時の賑わいはもう消えていたものの、まだ空き家もなく同世代の子供たちがいて、海水浴に連れて行ってくれたり帰りに駄菓子屋でアイスを買ったりした。
今、この村は完璧に静かだ。人間の声はせず、営業している場所といえば郵便局ぐらい。木造瓦葺きの代わりに鉄筋コンクリートをカラフルなペンキで塗った平屋根の海風に強い家々はそれほど風化していなくて昼間は空き家だとは気がつかないが、夜になると5分の4ぐらいの家に灯りがつかず、ゴーストタウン?幽霊村?だということがわかる。静かと言ったが、人間の気配がないだけで、トンビの声や虫の音といった自然の音と気配はもの凄い。
市のゴミ収集はきちんと週に二度きてくださるそうだが、転げ落ちそうな急な坂をおりた先にあるゴミ集積場に90代の祖母がゴミを運べるはずもなく、近所の人が1週間か2週間に一度、取りに来て運んでくれる。
でもそれでは生ゴミは腐って匂いがするので、祖母は野菜くずや茶殻や魚の骨は、花壇にまいたり裏の畑に運んだりして、自然の力で分解させている。
ある日、親戚が獲ってきたサザエを二人で食べた。竹串で穿って身を殻から出して食べたのだが、サザエのワタはうまく殻から出てこなくて、青黒い渦巻きのしっぽのほうが途中で切れて殻の螺旋の奥深くに残ってしまった。祖母は普段、魚のワタのようなものは家の前の小川に流して分解させている。川には瀬ガニとかいう蟹もいて、そいつらが食べるのだろう。しかし、サザエのワタを川に流したくても殻の中から取り出せず、だからといって殻ごと小川に捨てるのは問題だ。
行動圏が家の周り20メートルぐらいの祖母はワタ入りのサザエの貝殻をどう分解させればいいか悩んでいた。
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